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IRELAND Saoirse & IRIS UnOfficial
 

アイルランド共和主義者情報サービス
No.234 1998年4月9日

IRISH REPUBLICAN INFORMATION SERVICE (no. 234)
Teach Daithi O Conaill, 223 Parnell Street, Dublin 1, Ireland.
Phone: +353-1-872 9747;
FAX: + 351-1-872 9757;
e-mail: saoirse@iol.ie;

 

 

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1. 共和主義運動指導者からの復活祭宣言
2. 今週末、27州で復活祭記念
3. 刑務所検閲官により止められたジョセフィンの手紙
4. 6州で拳銃を禁止するな
5. アプレンティス・ボーイズの行進が下オルミュー道路から閉め出される
6. 暫定派はストーモントに入る準備をしている
7. ストーモント会談において棚上げされる問題、そして元ナショナリストは英国支配下の警察に組み込まれるのか?
8. ラルネのナショナリストが爆破された家から脱出
9. ラルネのナショナリスト家族の恐怖
10. ロイヤリスト群衆攻撃によってナショナリストの家が石油爆弾攻撃される
11. ナショナリストはGarvaghy道路を通らないよう要求
12. LVF囚人は尋問後Hブロックから移送
13. 血の日曜日の調査、デリーで開始

 

 

1. 共和主義運動指導者からの復活祭宣言

 歴史的な1916年復活祭蜂起の82周年記念にあたって、国内にいる人、追放された人すべてにおめでとうの言葉を伝える。墓のそば、記念碑、その他のわれらが英雄の死の記念の地に集まったすべて人々に、国内にいようと国外にいようと、共和主義運動はおめでとうの言葉を伝える。この1998年の復活祭は、いくつかの理由で極めて意義深いものだ。特に、現在アイルランドで終了に向かって進行しているプロセスの実態がある。それは、わたしたちの敬愛する人々が気高く生命をもなげうって達成しようとしたアイルランドからの英国の撤退をもたらすものにはなりえないであろうということが、あらゆる面ではっきりしている。

 このプロセスは、アイルランド国民の独立に対する踏み石でもなければ過渡期でもない。実際は、これは新ストーモント(北アイルランド議会)を通してここに英国の法を更新し、強化するものである。これは、できるだけ多くのナショナリストを巻き込もうとするだろうし、アイルランド人と帝国主義英国政府との間を隔てる統治となるであろう。このように新しく強化されたストーモントは、1972年の国民の闘いによって倒された旧来の腐敗政権よりも、取り除くのが難しくなるだろう。

 これらの提案の最も危険な面は、アイルランドの自由を勝ち取る闘いを続けているすべての人々への敵対行為によって、このために動いている者たちが提案を完成させることを求めるであろう、ということだ。これに関しては、英国の管理下にある新警察の40パーセントを元ナショナリストで占めさせようという試みが最もやっかいである。この新北部自由国は、ナショナリストのエネルギーを奪って若者を革命行動から引き離すだけではなく、母国にいるアイルランド人を抑圧するための英国の仕事をする新しいブロイ・ハリアーズ(Broy Harriers)に元囚人や元ボランティアを従事させることになるのである。

 こういった理由などによって、共和主義シン・フェイン党は、新ストーモントに対する投票においてはいつも「No」の投票をしようという運動を、どこでも精力的にアイルランド国民に対して呼びかけてきた。EUの支配力を強め、新ヨーロッパ軍の指揮によってアイルランドの中立性を弱めるようなアムステルダム条約も「No」と投票すべきである。

 私たちは、共和主義活動家とその支援者に、このような投票に続くことが明らかな抑圧の新しい波への心構えをしておくよう訴える。新しい協定のための代償は、それにふさわしい場所に支払われなければならない。

 彼らの提案を受け入れないなら平和はない、とアイルランド人は脅迫されている。それはつまり、リアム・メロウズの1922年の降伏条約にあるように、「これは国民の“意志”ではない。人々の“恐怖”なのだ」ということだ。恒久的な平和――唯一の意味ある平和――は、英国がアイルランドを解放することによってのみもたらされる。それは歴史が教えるとおりだ。

 英国政府の注目を引き、どのようにカモフラージュされようとも、アイルランド内の英国法には抵抗があり、常に抵抗していくであろうという事実に意識を向けさせることを実際の行動によって行なうキャンペーンを、わたしたちはこれからも続けていく。

 英国撤退と完全に新しいアイルランドを主張するアイルランド人政治犯には、どこにいようともわたしたちは賛同と支援を行なう。かれらの依頼には具体的な言葉で支援することを強調する。とくに、現在、リメリック刑務所で深刻な健康状態と闘っている、26州での唯一の女性政治犯ジョセフィン・ハイドン(Josephine Hayden)に、わたしたちは最敬礼するものである。

 偉大なる1798年蜂起からの200周年にあたり、植民地化と帝国主義からのアイルランドの独立のために闘う自由運動に対して、アイルランド国民がどこにいようとも支援をふやすよう訴える。

 3万人の犠牲を払った1798年蜂起は、派閥主義者ではなかったし、単なる市民権のためでもなかった。それは高度に政治的であり、アメリカやフランスの現代民主主義・共和主義思想に最も影響を受けていたのである。ユナイテッド・アイリッシュメンの目的は、ウルフ・トーンの永遠の言葉によれば「英国との関係を断ち切る」ことであり、アイルランドに自由・平等・博愛をうち立てるものであった。

 何百年、何十年にわたるこの名誉ある死者たちすべての名において、その犠牲を無駄にしないための支援をあらためてわたしたちは訴える。真実に立ち向かおう。無益な希望によって自分たちをごまかすのはやめようではないか。英国政府は、強制されればわが国の海岸から立ち去るであろう。

 これまでにも、そして現在にもなされている、かように巨大な犠牲による事業を達成するために、自発的な支援の手と活動的な精神が必要である。Tioccfaidh ar la! われらの日は来る!

 

 

2. 今週末、27州で復活祭記念

 共和主義シン・フェイン党は、アイルランド全土で今週末、1916年の復活祭蜂起82周年記念式典を開催する。

 共和主義運動指導者からの復活祭宣言と1916年独立宣言が、アルスターの9州すべてを含む27州の式典で読み上げられることになる。式典はニューヨーク、グラスゴー、リバプール、ロンドンでも開かれる。

 1798年から200周年の今年、共和主義シン・フェイン党党首ライリー・オブラディ(Ruairi O Bradaigh)は、復活祭日曜日にはBallinamuck, CoLongfordにて演説する。これは、フランス・アイルランド軍が英国国王軍に破れた1798年9月のバリナマックの戦いでアイルランド軍指揮官だったジョージ・ブレイク将軍のTubberpatrick墓地の墓である。

 ベルファストの復活祭日曜日には、ジャグラン・オドネイル(Deaglan O Donghaile, Derry)が正午にMilltown墓地の共和主義者区画で復活祭式典に際して演説する。アルマー復活祭式典は、午後3時に市営墓地で開かれ、スィールシャ・ブリャトナハ(Saoirse Breatnach)がメインの演説者である。ニアル・ファガン(Niall Fagan)は、デリー市営墓地で開かれる復活祭日曜日式典の演説者である。パレードはクーフリン記念館へ正午集合。

 ドネガル州の式典は復活祭日曜日の午後2時30分からDrumboeにて。これはジョンソン交差点Stranorlarで開かれ、主な演説者はフェルマナー州のマイケル・マクマヌス(Michael McManus)。

 ダブリンでは復活祭式典はオコンネル通りのGPOで開かれる。これは1916年独立宣言が、パードリック・マクピアリス(Padraig Mac Piarais)によって蜂起勃発時に読み上げられたところだ。パレードは中央教会通りの角に正午集合。ケリー州のリアム・コッター(Liam otter)が演説を行なう。

 ダンダルク式典は午後1時30分にアデルフィ映画館で開始され、聖パトリック墓地の共和主義者区画までパレードする。ダブリンのショーン・オシェ(Sean O Se)がメインの演説者だ。フェルマナー式典は、ロスリャ(Roslea)の1797年ロスリャ殉教者の墓で復活祭月曜日の午後3時に開催。モナハンの式典は、復活祭日曜日にモナハン町のフェルガル・オハンロン義勇兵(Vol Fergal O'Hanlon)祈念碑にて(正午)、さらにスコッツタウンのUrbleshanny墓地でシャムス・マクエルワイネ義勇兵(Vol Seamus Macc Elwaine)の墓にて午後2時から。

 マンスターでは、聖フィンバル墓地の共和主義者区画へのコーク・パレードが、復活祭日曜日の午後2時にウィルトン迂回路で開かれる。ジミー・カヴァナー(Jimmy Kavanagh)がメインの演説者だ。ケリーでの復活祭日曜日の式典は、リストウェル(Listowel)にて午前11時30分から、トラリーのデニー通り(午後2時)からラハ墓地の共和主義者区画へのパレード、カヘルシヴィーンのフェア・グリーン(午後2時30)から教会通りの第3ケリー旅団記念館へのパレード。副党首マリー・ワード(Mary Ward)がカヘルシヴィーンの主演説者である。

 ティッパラリー町復活祭記念式典は、生協駐車場に復活祭日曜日午後1時集合、1921年にIRA囚人が殺害された英国軍バラックの記念額までパレード。演説者は共和主義シン・フェイン党副党首デス・ロング(Des Long)。

 ゴールウェイ州では、復活祭日曜日、ゴールウェイ市エイレ広場のリアム・メロウズの像にて式典。パレードの集合は大聖堂に午前11時。州式典はヘッドフォードのドナーパトリック墓地の共和主義者区画にて午後3時。主演説者は、共和主義シン・フェイン党広報部長ライリー・オグ・オブラディー(Ruairi Og O Bradaigh)。4月11日にUachtarardにて(午後7時、シャムス・オマイレ義勇兵(Vol Seamus O Maille)の墓)、ローレアにて復活祭日曜日(正午、父マイケル・グリフィン(Micchael Griffin)の墓)、トゥアン(復活祭日曜日午後2時、仕事場記念館)でも式典が開かれる。

 ニューヨークでは復活祭日曜日の朝食がブロンクスの西240通り・ブロードウェイのゲーリック公園で午前10時から。ニューヨーク、ニュージャージー、ボストンの共和主義者は参加してほしい。

 

 

3. 刑務所検閲官により止められたジョセフィンの手紙

 共和主義者の女性囚人ジョセフィン・ハイドン(Josephine Hayden)から、彼女の獄中状況を報ずるダブリンの新聞に送られた手紙が、最近リメリックの刑務所当局によって差し止められた。刑務所長パット・ラッファン(Pat Laffan)は、手紙の投函を認めることを拒否し、ジョセフィンに差し戻した。

 手紙は、アイリッシュ・タイムス・ダブリンの編集者宛てのもので、アイリッシュ・タイムスの3月26日のアイルランド刑罰改善連合会からの手紙への返事であった。最近、リメリック刑務所を訪れた直後に、アイルランド刑罰改善改善連合会会長は、この女性棟の「即時閉鎖」を求めていた。

 連合会会長イアン・オドンネル(Ian O'Donnell)博士は、3月26日のアイリッシュ・タイムスへの手紙の中で、リメリック刑務所の状態は「極悪非道である」と述べた。「このように老朽化した状態から服役者を解き放つための準備を適切に行なう方法はなかなか見つからない」といっている。

 訪問後、オドンネル博士は、リメリックで女性が収容されている「C」棟の状況は、26州のどの刑務所で見たよりもひどかったと述べている。「多くはすでにダメージを受けている人たちが、国家の保護を受けているあいだこれほどまでにひどい扱いを受けているということは、文明社会への侮辱である」

 アイルランド刑罰改善連合会は、5年以上前に、特定の派閥に属さず、独立し、非政治的組織として創設され、ボランティア活動によるものである。その目的は、「独自の柔軟で建設的で決定的な声」を26州の刑罰体系に対して述べることにある。

 リメリック刑務所の「C」棟における状況の問題について述べること、また、ここの唯一の政治犯であるジョセフィン・ハイドンは心臓が悪いために人道的見地から釈放されるべきであるという運動を、アイルランド国内外の人権関係の独立組織は始めることだろう。

 支援委員会の広報者ペイグ・キングさんは、刑務所当局の決定は「彼らの扱っている刑務所の状態について、真実を知らせないようにしようとするもの。わたしたちは、人道的見地からジョセフィンの釈放を確実にするために、関心を持つ個人・団体がその状態についてふれるよう求めたい」と述べている。

 この服役者の権利の否定に外部の関心を引きつけるよう、地元紙・全国紙に手紙を書いてほしい、と彼女は述べた。

 

 

4. 6州で拳銃を禁止するな

 拳銃禁止法は、ダンブレイン虐殺が6州に広がらないようにと英国会を緊急通過し、4月2日に公布された。イギリス「帝国」政府がアイルランド植民地で許可した個人所有の小火器は13万8000と見積もられている。この数字は、拳銃、散弾銃、ライフルの合計である。

 許可を受けた1万1800丁の「銃弾点火」拳銃は「主要人物保護法」に基づいて認可された個人所有であり、2000丁が銃クラブメンバーの所有である。暫定派は現在、昨年11月にストーモントでの対話で英国が同意した譲歩の枠組みに組み入れられてしまった。これらの「個人保護武器」は、植民地警察長官によって認可される。

 武装解除せず関知しないナショナリストが、英国によって公式・非公式に認められた武器で、英国びいきのロイヤリスト暗殺部隊に殺されているあいだに、占領下アイルランドの植民地機関に忠誠を誓った者たちが武装することになる。

6州国家は、英国に銃を突きつけられて保たれている。6州における拳銃の所有は禁止しないというこの決定公布は、直接統治者モー・モーラン(Mo Mowlam)は「勧告」と呼んだが、それからちょうど1週間後、プラスチック弾の使用を禁止しないという同様の決定がなされた。ナショナリストの老若男女は、王国軍の発射したこれらの致命的なプラスチック弾によって殺されたり、生命の危機にさらされたりしてきたのだ。この話の結末はいかに?

 

 

5. アプレンティス・ボーイズの行進が下オルミュー道路から閉め出される

 パレード委員会は、ストーモントの英国植民事務所による組織であり、アイルランドの通りで行進していい者、悪い者を決める権限を持っているが、4月3日に最初の支配を行なった。

 オレンジ行進の期間にベルファストの下オルミュー道路のナショナリスト居住区において、暴力的攻撃と派閥主義の乱用にふけってきた長い歴史を持つ「アプレンティス・ボーイズ(Apprentice Boys)」が、オルミュー橋を復活祭月曜日に渡ることを禁止された。

 これは元共和主義者とその支援者への賄賂を意味するが、まったく都合よく、パレード委員会は徒弟ボーイズに「1998年に1回か2回はオルミュー道路でパレードを認める」と約束した。

 新ストーモント政権が発足して運営され、元共和主義者がその行政官の一部となるため、新しい権力地位を危険にさらすおそれのあるような動きはしないだろう、という希望は持てそうだ。

 

 

6. 暫定派はストーモントに入る準備をしている

 4月6日、共和主義シン・フェイン党本部に届いたお知らせは、暫定派アルド・エイス(議会)がまさに2週間以内に、新ストーモントに参加するように規約を改定しようとしているという動きを示している。暫定派の宣言ではこうなっていた。

 具体的には、選出されたメンバーがレンスター議会に参加する許可を得るというちょっとした歩み寄りによって、まず支援者の苦痛を和らげるつもりがある。これはもちろん、1950年代中頃に拒絶されたし、再び拒絶されるだろう。

 暫定派は、徐々に変わっている。最初は、1986年に26州議会を受け入れた。今、12年間の暫定派が関わった武装闘争は終わり、ユニオニストが多数派を占める新ストーモントを受け入れる意志がある。

 アイルランド法のもとにある英国政府――これは我が国を分断してきた――とウェストミンスター議会において立憲課程を完成させ、アイルランドの6州を支配するという英国の主張を世界に認めさせるために、どれほど長くかかっただろうか?

 つまり、過去30年の巨大な犠牲は何だったのか。そして、暫定派は犠牲者たちが耐えてきたすべてのことを裏切ったり背を向けたりはしてこなかったのではないのか?

 

 

7. ストーモント会談において棚上げされる問題、そして元ナショナリストは英国支配下の警察に組み込まれるのか?

 3月20日、共和主義シン・フェイン党党首ライリー・オブラディの声明。

 ストーモント会談において重要な問題――警察、司法、囚人――が棚上げされ、「独立」委員会について言及される、と報じられている(「アイリッシュ・タイムス」3月20日号)。「すべてが合意されるまで、何にも合意しない」という基本原則はどこにいってしまったのだろうか。

 アイルランドの交渉者は1921年の「平和」条約に調印した。これは、新しい自由国といわゆる「北アイルランド」各州の間の国境を固定する、といわれる国境委員会に対して好意的な成果を受け入れたものである。
 
 4年後の1925年、国境委員会は大失敗として放棄され、まったく何も変わらなかった。アイルランド側の衆評名条約署名者は亡くなり、英国の煽動した内戦がアイルランドの大衆を悲惨にも分割してしまったのである。

 それは遅すぎた。英国人とユニオニストは6州・26州体制を変えようとはしない。「踏み石」は効果的に自由国領内に限定されて、そのままとどまった。

 72年後になって、もう一つの「踏み石」――今回は「変遷」と呼ばれる――とともに、英国支配下の新しい警察に40%の元ナショナリストを採用せよという暫定派の要求があった。

 元囚人や元義勇兵からほとんど構成されているこの新しいブロイ・ハリアーズは、ナショナリストたちを取り締まり、闘争を続ける人々を鎮圧するであろう。

 Chonaic muid cheana e.すべて、かつて見たことだ。しかし、歴史の過ちから学ばず、過ちを繰り返すことが運命づけられている人々がいる。

 しかし、恒久的な平和をもたらすことはないであろうし、不可能でもあるようなシナリオ――70年以上前の国境委員会と結びついた条約同然のもの――の中で、そのような過ちの重荷にも耐えるのが、アイルランド国民なのである。

 

 

8. ラルネのナショナリストが爆破された家から脱出

 6州で猛威を振るっている極右の攻撃によって3月21日未明、ある一家の居間が地獄と化し、4人の家族が劇的な脱出をした。ラルネ市Belair公園のマッカリー(McCarry)家への攻撃によって、18歳のマリー・マッカリー(Marie McCarry)は右脚にやけどを負った。家にいた4歳の女児はけがせずにすんだという。

 一団は居間の窓を粉々にし、液体燃料を注いでから点火した。同日、ラルネではヒルマウント・ガーデンの空き家が放火された。ラルネ地区ではナショナリストが依然として少数派であり、ここでは英国びいき殺人部隊LVFが強い影響力を有している。

 

 

9. ラルネのナショナリスト家族の恐怖

 オレンジ拡張主義者たちが6州にわたって民族浄化運動をエスカレートさせるに従って、多くの家族が住居を離れることを強制されるようになっている。

 4月1日午前2時30分、アントリム州ラルネのある女性と3人の子供たちは、ロイヤリストの群衆に、ガソリン爆弾でティアフト・ガーデンの自宅を攻撃され、かろうじてけがを逃れた。これらの攻撃はオレンジ行進の時期のさなかに起こるのが普通であるが、今は違う。ストーモント会談での結論として6州植民地の状態が改められることが予想されるため、ロイヤリストたちは自己存在を示す必要を感じているのだ。

 3月17日午後9時ごろ、英国びいきのLVF暗殺部隊が爆発物を聖コムガル(St. Comgall)聖堂の外に置き、飲み食いしていた200人以上があやうく死傷を逃れた。ラルネはLVFの拠点とされている。英国エージェントの援助を受けている暗殺部隊は、これらの攻撃を指揮し、同様のことをさらに行なうことを宣言している。

 英国軍諜報部の黙認によって、彼らは6州の広い範囲のナショナリストを放火、爆破、射撃することを目指している。ラルネはこの極右行動の温床であった。町の旧教・新教混住地区の壁や縁石が赤・白・青で塗られて宗派を明らかにされており、ナショナリストはいまや恐怖のなかに生活しているのである。

 

 

10. ロイヤリスト群衆攻撃によってナショナリストの家が石油爆弾攻撃される

 オレンジ拡張論者が民族浄化作戦を過激化させるなか、3月22日、ベルファストのナショナリストの家が攻撃された。レンガ、鉄棒、石油爆弾で武装した50人もの暴徒がHallidayの道路を押し寄せ、その行き着く先にあるナショナリストの家に向かった。

 自宅を守ろうとした一人の男性が、暴徒に暴行を受けた。彼はあとで病院に送られた。英国植民地警察(RUC)のメンバーを乗せた覆いのない車が暴徒に囲まれ、鉄棒とレンガでフロントガラスを破られそうになった。ナショナリストを困らせるのはもうこりごりだという地元住人が、RUCとロイヤリストの間の緊張が高まっていると通報し、援軍がRUCの面々を救った。

 その間、年輩の夫婦が幸運にも、暴徒の直接の石油爆弾攻撃で屋根を放火された家からかろうじて逃れた。その攻撃が計画的なものであり、群衆は40以上の爆弾を持っていた、とナショナリスト住人は述べている。

 

 

11. ナショナリストはGarvaghy道路を通らないよう要求

 3月22日日曜日、ポルタドーンのObins通りからGarvaghy道路まで4000人以上の人々のパレードがあった。これは、その内外の地域でオレンジ勝利主義者のパレードを終わらせるよう要求するものであった。暴動と連動する国王軍の一大派遣団が、結集とともに近くで監視し、その背後のCorcraine道路ではロイヤリストの対抗デモが叫んでいた。ロイヤリストからの誹謗中傷にもかかわらず、結集は平和のうちに終わった。

 

 

12. LVF囚人は尋問後Hブロックから移送

 LVFの密告者デヴィッド・キース(David Keys)が3月15日に殺された疑いが強まっている件で、英国植民地警察(RUC)はLVF囚人へのうち続く尋問を終え、別の密告者を得た。

 3月22日のメディア報道によれば、あるLVF囚人がロング・ケシュ刑務所病院から前日(21日土曜日)にマハベリー(Maghaberry)刑務所の房に移されたという。マハベリーの隔離房への移動は、別のLVF囚人についての証拠を得るためだとされている。

 キースは3月はじめのポインツパスにおけるフィリップ・アレンとダミアン・トレイナー殺害についての裁判を待っていた。英国軍の殺人者のこととなると英国はいつも彼らをかばいだてするが、暗殺部隊の植民地人下っ端は首が転がるのである。

アイルランド共和主義者情報サービス
No.232
1998年3月11日


6 ポインツパスのバーで暗殺部隊が二人殺害

 ある英国びいきの暗殺部隊に命ぜられた無差別大量殺人者が、3月3日火曜日、アルマー州の閑静な村ポインツパス(Poyntzpass)に衝撃を放った。午後9時を少しまわったとき、バラクラバ戦闘帽をかぶって拳銃をふりまわしている二人の男が、鉄通道りの鉄道バー(Railway Bar)に「この私生児野郎め」と叫びながら乱入してきた。

 それから連中はカトリックのダミアン・トレイナー(Damian Trainor, 28歳)と、プロテスタントのフィリップ・アレン(Philip Allen, 34歳)を撃ち殺した。地元の人々によれば、犠牲者たちは幼なじみの級友であり、いっしょに遊んだり飲んだりしていたのだという。この攻撃でさらに二人がけがをし、ニューリー(Newry)の雛菊が丘病院(Daisy Hill Hospital)に収容された。けが人は重傷だが生命には影響しないという。この店は地元のSDLP評議員トム・キャナヴァン(Tom Canavan)の兄弟デシー・キャナヴァン(Dessie Canavavn)が経営している。

 オーナーの妻ベルナジェッテ・キャナバン(Bernadette Canavan)はそのときバーの後ろで働いていたが、なんとか近くの非常扉から脱出した。外に飛び出すと、怒り狂った狙撃手がその方向に向かって弾を放ち、殺そうとした。

 暗殺部隊加害者は、その後、最近盗まれた白い5ドアのフォード・エスコートに乗って逃走した。それはアルマー州のスカルヴァ村近くで捨てられていた。

 この攻撃は、同日早くのデリー州Toomebridge村での大量殺人未遂事件に続くものだ。このとき、暗殺部隊の狙撃手はドミニック・ラヴァーティ(Dominic Laverty)とヒルヘッド通り(Hillhead Road)の肥料運搬車運転手を殺害しようとしたのである。攻撃者の銃は詰まって、赤い車で逃走した。この車はキャッスルドーソン(Castledawson)で発見された。

共和主義シン・フェイン党党首ライリー・オブラディは声明の中で、このような英国支持者による暗殺が続いていると述べた。
「たとえ現在のプロセスで新ストーモントと国境を越えた政治体制が完成されるとしても、火曜日の夜に起こったようなロイヤリストによる市民への直接暗殺は続くだろう。

 数、経済力、あらゆる種類の権利のいずれにおいても、ナショナリストが勢力を持とうとしているときにはいつも、恐れたロイヤリストが立ち上がり、典型的な流行として、ナショナリストを無差別に殺すことで影響を与えようとするのである。

 昨年、15人のナショナリストがこのために殺された。今年、現在までにロイヤリストは10人を殺害し、それ以上に多くの未遂事件がある。

 このような暗殺が増えているのは、IRAの作戦が行なわれなかった1935年、1966年、1969年に起こった事実によって実証される。

 これらの殺人は、現在アイルランドにいるイギリス人の援助を受けており、英国がアイルランドから最終的に撤退するときにのみ終わりを告げるであろう。

 現在進行中のプロセスは、この殺人を終わらせることはなく、むしろ加速させるだろう。

 ロイヤリストの準軍事組織は被占領6州における英国軍の非公式な武力である。LVFのリーダー、ビリー・ライト(Billy Wright)は記録でこう述べている。『我々は英国軍がなしえないことをなすことができる』」

アイルランド共和主義者情報サービス
No.233 1998年3月20日

1 ポインツパス容疑者がHブロックで殺される――全員元英国軍人

 3月3日、アルマー州ポインツパスのナショナリスト経営のバーで幼なじみの友人たち二人が殺害された件で告発された4人のロイヤリストの一人が、HブロックのLVF棟に移送されて数日後、自分の房で拷問されて死んだ。男の体は3月15日早朝、自殺にみせかけるために房の窓の棒からシーツで首をつった状態で発見された。

 デヴィッド・キース(David Keys, 26歳)は、ドーン州バンブリッジ出身の元英国軍軍人であるが、おそらくはその仲間であるLVF囚人によって、全身を殴打され、両手首は吊されるまえに切り裂かれていた。ポインツパス殺人事件で告発されている残る3人のロイヤリストも英国軍に勤務していた。ステファン・マクリーン(Stephen McClean, 28歳)、ノエル・マクリーディー(Noel McCready, 31歳)、リアン・ロブリー(Ryan Robley, 28歳)は全員、1990年代はじめまでUDRに所属しており、デヴィッド・キースはRIR(1992年7月1日からのUDRの新しい名称)の元隊員であった。

 ポインツパス殺人事件に関する英国植民地警察(RUC)への告発声明をデヴィッド・キースが出していたことから、彼が殺された疑いが浮上した。LVFでない囚人はだれも、殺害時刻の6時にはHブロックのLVF棟にはいなかった。3月19日、10人から15人のLVF囚人がRUCによって殺害容疑で尋問を受けるためにHブロックから移送されたと報じられている。別のLVF囚人が、3月15日に刑務所から保釈されたと同時にRUCに逮捕されている。

 

 

13. 血の日曜日の調査、デリーで開始

 4月5日、不名誉な1972年1月の血の日曜日虐殺事件についての調査が公式に開始される。大英帝国ローロード(司法事務に参与する上院議員)サヴィル(Saville)を代表とする法廷は、デリーのギルド・ホールを議事開始のために選んだ。カナダのウィリアム・ホイト(William Hoyt)とニュージーランド人エドワード・サマース(Edward Somers)という二人の英連邦裁判官を伴うサヴィル卿は、ジャーナリストに、調査を公正で完全、公平なものにすると誓っただろうか。

 自身も英国軍人であったサヴィル卿の声明はこうである。
「我々が最初に審議するのは、訴追免除も行なうべきだと法務長官に勧めるかどうかということである。与えられた事件つまり集団での事件において重要人物は訴追されないのかどうか、はっきりさせうる時間が必要だ」

 つまり、人道に反する犯罪を審議するこの王国のエージェントたちは、場合によって免罪を考慮するかもしれないのだ。裁判所は証人を召還し、文書作成を請求する権利を持っているが、ジャーナリストが「もし英国の元首相エドワード・ヒースや、英国軍高等司令官、ストーモントの元大臣も証人として喚問するつもりがあるのか」と尋ねたとき、サヴィル卿は確信を持って答えることができなかった。

 英国政府やストーモントの文書を調査している裁判所の質問について、サヴィル卿は「英国政府は、いくつかのファイルを公開禁止にするために公益免除証明書を使うことがない、とは何の保障もしなかった」と述べている。裁判は10月にデリーのギルド・ホールで始まり、ときどきロンドンに移る。結論はしばらく裁判所によって公開されることはなく、元ナショナリストや元共和主義者が参加することになる新しく強化されたストーモント政権において使用可能となる。

 調査において免除があることについて、リアム・ウレイ(Liam Wray)は次のようにコメントした。リアムの兄ジムは、グレンファダ公園で虐殺から逃れようとして射殺された4人の一人である。「彼らは英国兵士へ免罪するかもしれないと言っている。それは認められないことだ」

 

 

終わり。IRISの情報を広めてください。転載する場合は私たちのクレジットを入れてください。
ご意見・アイデア歓迎。

 

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