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IRELAND Saoirse & IRIS UnOfficial
 

アイルランド共和主義者情報サービス
No.235 1998年4月20日

IRISH REPUBLICAN INFORMATION SERVICE (no. 235)
Teach Daithi O Conaill, 223 Parnell Street, Dublin 1, Ireland.
Phone: +353-1-872 9747;
FAX: + 351-1-872 9757;
e-mail: saoirse@iol.ie;

 

 

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1. 協定は決定ではない
2. 新聞、団体、個人がストーモントの取引に反対
3.「英国からの解放によって恒久平和」――バリナマックでオブラディ
4. ストーモント「合意」は対立の現実の原因を述べていない
5. 若き共和主義者の声
6. 血の日曜日の調査、デリーで開始
7. アントリムの家族に銃撃

 

 

1.協定は決定ではない

4月10日、ストーモント協定の調印を受けて、共和主義シン・フェイン党党首ライリー・オブラディは以下のように述べた。

 今週末、アイルランド内の英国支配が更新・強化された。

 新しいストーモントはナショナリストを採用するが、国境を越えた政体はユニオニストによって発展成長するのであり、自由独立のアイルランドに導くはずがない。

 ストーモントで調印された協定は、「ブリテン諸島協議会」のために作られたSunningdaleと、1937年憲法の第2条・第3条を改正するものである。それは過渡的なものだといわれてきたが、実際はアイルランド国家の独立とはかけ離れた踏み石なのである。

 暫定派は最終的に公然とユニオニストの拒否権を受け入れてしまったが、英国を承諾・承認してしまったのかもしれない。

 1986年、共和主義シン・フェイン党が長期的視野をもってその当時の共和主義者の立場から離れたときからの課程は、すべて、こういったものに反対するよう導き、勇気づけるものであった。レンスター議会だけでなくストーモントが今受け入れられつつあることがそれを証明している。

 アイルランドの共和主義運動と無関係なアイルランド系アメリカ組織の8つの主流派がアイリッシュ・タイムス(4月9日号)に出した2分の1ページ広告は、特にこう述べている。「平和は、アイルランドが英国の支配から解放されるときのみに訪れるであろう」

 この復活祭週末、共和主義シン・フェイン党は愛国的精神を持つ人々すべてに、共和主義者の見地に結集し、ナショナリストの立場を売り渡すことを拒絶するよう訴える。

 わたしたちはこの問題についてのどのような国民投票にも「No」を投じるよう再度呼びかける。

 合意はあるかもしれないが、アイルランドの自由と独立の問題の解決は存在していない。英国が離れることを約束してできる新しい4地方連邦アイルランドこそ、解決の土台となるものであり、わたしたちすべてがこれほどまでに待ちこがれている恒久平和をもたらすものである。
 ――ライリー・オブラディはこのように締めくくった。

 

 

2. 新聞、団体、個人がストーモントの取引に反対

 4月9日から共和主義シン・フェイン党はストーモント取り引きに反対するという点について他団体や個人と結びついた。4月12日の「サンデー・ビジネス・ポスト」社説は「これはナショナリストのアイルランドのためになる『取引』ではない」との見出しで、「数年間、おそらくは数十年間、この島の分断を定着させる」ような「巨大な失望」であると述べている。バーティー・アハーン(Bertie Ahern)は「こんな白々しいウソ、つまりティローン、フェルマナー、デリー、アントリム、ドーン、アルマー州の土地が英国のものであってアイルランドのものではないなどというものに賛成するよう人々を説得している国を旅」していたという。

 4月9日、8つのUSアイルランド系アメリカ人組織が出した2分の1ページ新聞広告は、1937年憲法第2条・第3条のいかなる変更にも反対するよう訴えた。「平和は、アイルランドが英国の支配から解放されるときのみに訪れるであろう」

 ベルナデッテ・マッカリスキー(Bernadette McAliskey)と英国内アイルランド人代表団もまた、公式にこの取引に反対した。

 

 

3.「英国からの解放によって恒久平和」――バリナマックでオブラディ

 1798年の戦いでユナイテッド・アイリッシュメンは、「英国との絆を断ち切」って自由・平等・博愛をアイルランドにうち立てるため、血を流し、斃れた。この復活祭が200周年にあたることを静かに考えるとき、彼らの理想は達成されておらず、アイルランド国民はその逆になってしまった――と共和主義シン・フェイン党党首ライリー・オブラディは語った。

 彼はバリナマック(Ballinamuck)のトゥッバーパトリック(Tubberpatrick)墓地にあるメイヨーのジョージ・ブレイク将軍の墓で開かれたロングフォード州復活祭式典にて演説した。ブレイク将軍はバリナマックの戦闘でアイルランド軍指揮官であり、英国軍臨時軍法会議の結果絞首刑となった。

「ユナイテッド・アイリッシュメンは宗派関係ではなく、極めて政治的なものである、と彼は述べた。啓蒙時代、彼らは当時最も近代的な勢力――アメリカ・フランス革命――からインスピレーションを受けていた。

「ロングフォードのリーダーたちには、バリンリーのパット・オファレル、クラネリーのパトリック・オコンネルとヘンリー・オコンネル、バリンローのオキーフェ(以上カトリック)、クロンブロニーのハンス・デニストンとアレクサンダー・デニストン、グラナードのアレクサンダー・クロミー(以上長老派)などがおり、その全員がアイルランド軍を率いてかの運命の年に英国部隊と戦ったのである。

「デニストン兄弟はどちらもモストリム義勇農騎兵の英国役人であったが、多くの配下をユナイテッド・アイリッシュメンに加入させた。ハンス・デニストンはベルファストでアイルランド本部とつながりがあった人物であり、フランス部隊がキララに上陸したときには指示のためにその地へ向かった。

「ブレイク将軍はコーンの近くのガラクローン出身である。これは20世紀に英国軍と戦ったトム・マグワイア将軍の祖先の地に近い。ブレイクは何度も何度も郷土の人々をシャンムラー丘に集め、すべての希望が断たれたときにさえもねばり強く戦ったのである。

「捕獲され処刑されたのち、地元の人々は彼の肉体を奪い、納屋で整えてトゥッバーパトリックに埋葬した。海外勤務していた英国軍の元将校として、彼の墓にふさわしい記念十字架で印がついている。

「統一アイルランド蜂起から200年、アイルランドにおける英国支配を更新し強化する巧妙な試みがいまなされている。ナショナリストは、新ストーモントを維持することを補助することになろうし、国境を越えた政体はナショナリストが成長発展しないようにユニオニストによってコントロールされるであろう。

「アイルランド国民は、あらゆる面で、新しい英国支配方法を受け入れるよう、また統一アイルランドの自由・平等・博愛という目標に背を向けるよう勧められている。「英国との結合」は破棄されるどころか更新されようとしている。

「それにもかかわらず、アイルランドの歴史は、英国政府とアイルランド内の占領軍が常に抵抗を受けてきたことを教えてくれる。実際、国内外の国民の恒久平和は、長年にわたる英国との関係解消の要求を支援すべきだ。新しい、民主的な、4地方の自治体のある連邦アイルランドは、国民に力をもたらし、彼らの統一アイルランドの理想である自由・平等・博愛を実現する助けとなろう。

「アイルランドの自由とのため、1798年とそれ以降の世代で戦って犠牲となったすべての人々の不滅の理想のために。

「いま、失敗することなく、あらゆるアイルランド国民のために正義に基づいた平和への希望という大きな贈り物を後世に伝えるために、努力しようではないか」
ライリー・オブラディはこう締めくくった。

 

 

4. ストーモント「合意」は対立の現実の原因を述べていない

 4月12日日曜日、ティペラリー町での復活祭式典における演説で、共和主義シン・フェイン党副党首デス・ロング(リメリック州)は、単なる個人的な利益と政治的都合のために共和主義運動を分裂させている暫定派指導部の裏切りを告発した。アイルランド内の対立の原因――6州に英国がいること――に商店を当てるために共和主義運動の再結集を訴えた。

「ストーモント合意は、現実に永続する平和をわが国にもたらすものではない。それは対立の原因について取り組んでいないからだ」と彼は述べた。暫定派指導部が――個人的・政治的利益のために――共和主義者の立場を売り渡したのだ、とわたしたちは勇気を奮って言わなければならない。暫定派指導部は英国に屈従したのだ。それが現実であり、いかなる宣伝も事実をごまかすことはできないであろう。彼らの行なったことは、裏切りと表現する以外にない。

「英国が存在しているという問題は、政治的議題において後回しにされている、と確認しなければならない。英国がアイルランドから撤退する意志を表明するまで、対立の原因は残るのだ。

「今、暫定派の売り渡し工作に同意できないすべての共和主義者は、共和主義運動に再結集し、英国撤退を確実なものにするために働くよう、訴えたい」とデス・ロングは語った。

 

 

5. 若き共和主義者の声

 英国軍とそのユニオニスト追従者が密通しているなかで、暫定派党首ジェリー・アダムスは4月10日のストーモント城集会で演説し、わたしたちの過去を投げ捨てた。ウィリアム・バトラー・イェーツはこんな精神状態をうまく説明してくれる。
「つま先から頭まですっかり形をなくす。
 心も頭もすっかり忘れてしまって
 下劣なベッドの下賤な生まれの者たち」
さらにふさわしいのは、デリーのボグサイド中心部にあるウィリアム通り、リトル・ダイアモンド、ロスヴィル通りの壁に書かれた若き共和主義者の落書きメッセージだ。
「6州安売り――販売代理店――アダムズとマクギネス」

 

 

6. 血の日曜日の調査、デリーで開始

 4月5日、不名誉な1972年1月30日の血の日曜日虐殺事件についての調査が公式に開始される。大英帝国ローロード(司法事務に参与する上院議員)サヴィル(Saville)を代表とする法廷は、デリーのギルド・ホールを議事開始のために選んだ。カナダのウィリアム・ホイト(William Hoyt)とニュージーランド人エドワード・サマース(Edward Somers)という二人の英連邦裁判官を伴うサヴィル卿は、ジャーナリストに、調査を公正で完全、公平なものにすると誓っただろうか。

 自身も英国軍人であったサヴィル卿の声明はこうである。
「我々が最初に審議するのは、訴追免除も行なうべきだと法務長官に勧めるかどうかということである。与えられた事件つまり集団での事件において重要人物は訴追されないのかどうか、はっきりさせうる時間が必要だ」

 つまり、人道に反する犯罪を審議するこの王国のエージェントたちは、場合によって免罪を考慮するかもしれないのだ。裁判所は証人を召還し、文書作成を請求する権利を持っているが、ジャーナリストが「もし英国の元首相エドワード・ヒースや、英国軍高等司令官、ストーモントの元大臣も証人として喚問するつもりがあるのか」と尋ねたとき、サヴィル卿は確信を持って答えることができなかった。

 英国政府やストーモントの文書を調査している裁判所の質問について、サヴィル卿は「英国政府は、いくつかのファイルを公開禁止にするために公益免除証明書を使うことがない、とは何の保障もしなかった」と述べている。裁判は10月にデリーのギルド・ホールで始まり、ときどきロンドンに移る。結論はしばらく裁判所によって公開されることはなく、元ナショナリストや元共和主義者が参加することになる新しく強化されたストーモント政権において使用可能となる。

 調査において免除があることについて、リアム・ウレイ(Liam Wray)は次のようにコメントした。リアムの兄ジムは、グレンファダ公園で虐殺から逃れようとして射殺された4人の一人である。「彼らは英国兵士への免罪するかもしれないと言っている。それは認められないことだ」

 

 

7. アントリムの家族に銃撃

 英国びいき分子が4月16日、アントリム町の近所の2家庭を銃撃した。午後11時30分、バリクライギー地所の家の玄関に銃撃音が聞こえ、その家の女性はベッドの中で恐怖におそわれた。彼女はけがなく逃げた。

 数分後、一団は数軒となりの別の家を襲撃した。夫婦と3歳半の息子は、居間の窓から一発撃ち込まれるのをベッドの中で聞いていた。一家は激しく動揺したが、傷つけられはしなかった。

 ほぼ同じころ、アントリム州バリーマネーのカルナニー・ドライブのある家の居間の窓から爆発装置が投げ込まれた。装置は爆発しなかった。そのときいた男女一名ずつはけがを逃れた。

 

 

終わり。IRISの情報を広めてください。転載する場合は私たちのクレジットを入れてください。
ご意見・アイデア歓迎。

 

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