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東京クーデター
Tokyo Coup d'etat

 
序章 クーデターとは
 

クーデターとは

 クーデター(Coup d'Etat)とは、一般に「政権保持者または権力階級が、その権力を拡大したり、あるいは新たに政権を掌握するためにとる急激な非合法的手段」と解されている。またこのため、クーデターには暴力を伴うのが当然であるとも考えられている。つまりクーデターは、分秒を争う緊迫した短期決戦によって、現政権の政治機能を奪い、新政権を樹立させるための実力行使である。

 

 日本においては、古くは七世紀中葉の蘇我入鹿の乱、昭和初期の五・一五事件、二二・六事件など、いずれもクーデターであり、暴力が行使された。後の両者は天皇制にかかわる右翼的行動であったため、日本では、クーデターといえば右翼的色彩の濃いものを連想する向きも多いだろう。

 しかし、現代のクーデターにはさまざまの相をもつものがある。革進勢力がファシズム政権を倒し、逆に社会主義政権をファシズム勢力が奪いとり、あるいは、保守・革新のいずれか一方にのみ組みすることのない新政権を樹立するなど、さまざまである。

 

クーデターと革命とのちがい

 革命とは、被支配階級が、支配階級を倒して政権をにぎり、国家や社会の組織を根底から変革することである。

 クーデターは、革命のように根本的な変革をめざすものではない。国家や社会の組織に部分的な若干の変革がもたらされたとしても、現組織は基本的に是認される。ただその政権を奪いとるだけであり、結果としては、支配者間において政権が他に移行するだけである。したがってクーデターは、自然発生的な暴動・一揆・蜂起などとも異なり、また、一人一殺を標傍した血盟団流のテロ行為とも根本的に異質である。

 もちろんゲリラとも異なる。ゲリラは、いうまでもなく革命への手段として用いられる戦法にすぎない。

 国家という組識体を、国民の集計によってつくられた三角形と見るならば、その上部が支配楷級であり、下部が国民大衆である。クーデターは、この三角形の上部を変化させるものであり、底辺部にはほとんど無関係である。

 三角形そのものが否定されるのではない。

 

クーデター成功のために

 クーデターが成功して政権をにぎった場合、肝要なことは、敏速果断な新政策の実施である。権力を握りながら、政策実施がおくれれば必ず反動があり、勝算はありえない。この政策は、その立案過程において、現代の複雑な社会機構はもとより、国民大衆の潜在的要求の大勢にいたるまで充分に知りつくしたうえでつくられたものでなければ、大方の支持を得られないことは当然である。選挙公約にひとしい空念仏の羅列でなく、もっとも基本的な改革案を精選して提示、これらの実施を押し進めなければならない。

 政権を維持し、政策を実施するために必要なことは、まず第一に、治安力をにぎり、国庫に富豊な資金を集めることである。

 いっぱんに資金が支配階級に占められている以上、そこから吸収するのが当然である。しかし、これは社会主義革命の新一歩というわけではない。支配階級の犠牲において改革が行われることは事実であるが、新しい国づくりへの投資という観点から、いわば協力を求めるのである。一時の犠牲は、決して永久の犠牲ではない。十分な見返りがありとすれば、クーデターをひとつの事業とみなすことができるのである。

 この豊富な資金は、まず国民生活の向上と安定をはかる諸施策に使われなければならない。そのための思い切った政策を実施し、生産をいっそう向上させて、これが国民の福利につながるとき、政権は安定し、クーデターは完全な成功をかちとる。国民の積極的な協力がなければ、社会に無用な混乱をひきおこし、旧勢力の反撃を受けることは必至である。

 

クーデターを起こすにあたって

 国民の文化水準 クーデターを起こすにあたって、考慮しなければならないことは、国民の文化水準である。とくに、国民の批判精神つまり自主性に注意しなければならない。

 文化のいまだ低い、前近代的国家にあっては、クーデターは成功しやすい。しかし、文化水準の高い、近代的民主主義国においては、大義明分がないかぎり国民の支持協力は得られない。

 卑近な例として、三島由紀夫の自衛隊乱入事件がある。三島が自衛隊の一部の同調を得てクーデターを実行し、憲法第九条を廃止したとするならば、おそらく国民は、これにだまって承服することはなかったであろう。憲法改正に消極的に賛成の者、判断に迷っていた者も、決してクーデターを許さなかったであろう。それは、国民の意志を民主的に問うこともなく、暴力による一方的廃止を決めた非民主的手段に対する反発からである。このような例は、ウォルフガング・カップ(wolfgang Kapp 1858〜1922)のクーデターにも見ることができる。カップは、第一次大戦後のワイマール共和制に反対し、一九二〇年、帝政復活をめざして蜂起、ベルリンを占領した。しかし民心をつかみ得なかった非合法政府は、プロレタリアの反撃を受け、僅か五日の短命で政権を放棄しているのである。

 最近、中南米、中近東、東南アジアなどにおいて、しばしばクーデターが起こっている。これらは米ソ両国の利権争奪の謀略戦で、相当の軍資金が流入していると噂されてもいるが、かなりの成功率である。しかし、成功率の高いのは、その囲の低文化性に負うところがかなり大きい。したがって、これらの国におけるクーデターの図式を、わが国にそのまま通用することは無理である。暴力を行使するクーデターに対して、いっぱんに日本人が嫌悪と恐怖をいだいてながめていることからも、それは理解できよう。クーデターを研究する者は、この事実を明確に認識しておかねばならない。

 社会状況の観察 文化程度が高く、社会機構の各条件が開発途上国と相違した国でクーデターを行おうとする場合には、社会状況――クーデターを必然とする事態の有無――の冷静な観察・把握と、クーデター決行の時期および方法についての基礎的な考慮が必要である。

 社会状況については、

 1 政治の怠慢、腐敗、不安定
 2 経済的危機
 3 思想の混乱
 4 外交上の失敗
 5 自国の安全、国防問題
 6 他国の戦争への参加
 7 巨大独占資本の横暴
 8 富の不均衡、社会の矛盾の激化
 9 公害等による健康・生命の侵害

などを観察することが必要である。

 これらの要素から日本の現状を観察すると、自民党の席敗・無能、政局の不安定、悪性インフレーンョン、住宅難、公害の広域化と激化、富の偏在、物不足等々、国民の不満は鬱積し、いつ爆発するか予測しえない深刻な状況である。ことに、経済恐慌の元凶といわれるスタグフレーンョン(不況下の物価上昇)が顕著になってきたことは、国民生活にいっそう無気味な危機感を与えるのである。

 マルクス、レーニン以来、革命の条件をつくりだすものは「経済恐慌」であるとされてきた。日本の現況は、この経済面に加えて、公害による「生命の危機」という新たな要因が発生してきた。

 このような矛盾は、すべて政治の腐敗によるものである。したがって、選挙という合法的手段による政権交替が望まれるわけである。しかし現実は、自民党に代わる健全野党が存在しない。庶民の間には、さまざまな市民運動がかつてなく盛り上がり、革新諸団体も、精力的な動きを見せているが、これらの力によっても悲願を速攻させることは不可能である。

 とすれば、このような社会は、いちおうクーデター発生の培養基盤とみなしうるのである。飛躍していうならば、日本の危機、国民の危機を救う手投は、クーデターしかないという結論に達する。したがって、日本の現状からいうならば、クーデターは、単なる支配者間の政権移動ではなく、直民の間に蓄積されている不満・怒りのエネルギーを有効エネルギーに転換させる重要な「媒体」となりうるものである。

 

時と場所―東京クーデター

 クーデターを超こす時と場所の選定を誤まるならば、すべては水泡に帰してしまう。

 日本でクーデターを起こすとすれば、東京以外にない。クーデターは、先に述べたように権カの奪取を目的とする非合法手段である。したがって、権力機構の集中する東京に限られてくる。

 本書の「東京クーデター」という題名も、こうしたところから発しているのである。

 時については、現実の問題として考える場合、ここで明言することはさしひかえたい。本書を読まれることによって、おのずから理解されるものと信ずる。

 

 くり返していう。クーデターとは、権力、政権を短期に奪取する敏速果断な作業である。

 その作業は、軍事力、あるいは広範な人民大衆の介入という、直接的な「力」の援助があれば容易に遂行できる、とするのが一般的な考え方である。クーデターは、膨大な資金、武器、人員などが必要だというのも一つの常識である。また、クーデターは、政治的、あるいは権力的(個人)意図を有するものであり、政治的中立の立場にたつクーデターはありえない、というのが一般的定義である。

 本書では、このような大衆の参加や軍事力の介入もなく、また膨大な資金・武器・人員も必要とせず、かつ政治的に中立なクーデターが可能である、という新しいクーデターの図式を大胆に設定し、その展開を試みた。これは、日本の現状に即したクーデターといえよう。

 もちろんこれは仮空のものである。しかし、参考的に読まれ、何らかのヒントを得て大小さまざまのアイディアが生み出されるならば、著者の望外の喜びとするところである。

 

一九七三年十一月

           著 者

 

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