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IRELAND 共和主義シン・フェイン党 UnOfficial
 

平和なアイルランドに向けて

 


この文書「平和なアイルランドを目指して」にある提案は、ドーヒー・オコナル(Daithi O Conaill)が立案し、その死の3日前の1990年12月29日に完成した。これはその後、彼が副党首を務めた共和主義シン・フェイン党によって採用された。

 

 

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21年間、アイルランド国民は戦争、紛争、政治的騒動にさらされてきた。その代償は高かった。いままで2800名の生命が失われ、自由は否定され、第2世代は異常な状況で育ってきた。世界ではこんなにも多くの変化が起こったのを見て、多くの人々が、どうしてわが国では平和、安定、経済発展をもたらすのが難しいのか、と尋ねてくる。

ほとんどの国民にとって、未解決の国家問題がわたしたちの問題の根元的原因であることは明白だろう。ふつうなら経済発展のために使われるはずの資源が、南北それぞれで抑圧の政権を支えるためのものに変えられている。軍事的手段による北部状況の解決への努力が続けられている。しかし、軍事的解決は長期的な解決を実現するものでないことは広く認識されている。軍事活動に関わったすべての政党は、公的記録において、政治的解決を見つける必要があると等しく認めている。

さまざまな政治的解決がこれまで試みられ、失敗してきた。英国が次から次へと失敗を続けているあいだ、ダブリン政権は実効ある提案を生み出すための真剣な努力を一度もしたことがない。1937年憲法下の26州国家は、現在、多くの人が問題だと述べている。この文書の第2条・第3条の削除または改正への要求が最近強まってきた。最高裁判所が同条文を「憲法の命令」として支持しているあいだに、彼らはまさにレンスター議会流のむなしい規定をもたらした。それは、26州国家が民族国家であるかのようにみせかけるという政治家の目的を果たすものである。

彼らの領土のために、英国はいわゆるブルック(Brooke)・イニシアチブを大切に扱い続ける。開かれるはずだった対話は延期されて、議事が止まっては進むという状態は、ブルーク関係に関することはすべて中身が何もないのだと多くの人に信じさせる結果になっている。人々が死ぬあいだに、政治家は迎合し、政治的真空は日に日に大きくなり、多くの人たちは最終の解決策に絶望し始めている。絶望感にうち勝つため、共和主義シン・フェイン党は以下の提案を行なう。

1. 民主主義がないことが、国家問題の根元に存在している。民主主義を復元することは、前進する道を守る。アイルランド国民は、一丸となって、国民としての自決権を自由に行使できるようにしなければならない。その目的に向かって、共和主義シン・フェイン党はアイルランド全国民の代表であって成人人口の選挙によって選ばれる憲法制定会議の開設を要求する。この会議は、新憲法を立案するという機能のみを有し、6カ月でその作業を完成させる。合意を得た憲法は、受け入れまたは拒絶のために国民投票で国民に提出されることになる。

共和主義シン・フェイン党は、現存している欠陥だらけの26州文書を改訂するよりも、新しい32州憲法を立案することがより民主的で、適切であり、恒久的であると信じるものである。さらに、開かれた民主主義的会議は、今日のアイルランド国民にとって、国民をこれまで裏切り続けてきた政治家たちの密室会議よりもずっと意味深いものとなるだろう。アイルランド社会のすべての要素は、国会のための投票を自由に争うことになるだろう。アイルランド国民同士の国内関係と、ヨーロッパや世界との広い外交関係は、自由で開かれた討論によって決定されるであろう。その討論に貢献するものとして、シン・フェイン・ポブラハタハは一連の提案――エーレ・ヌア――を用意した。これは連邦構造のアイルランドにおける新しい構造の基礎を概説するものである。

2. 会議の開設に先駆けて、英国政府は、アイルランド国民による新しい憲法採用から12か月以内にアイルランドから権力と施設を撤退させると宣言しなければならない。英国はアイルランドにとどまることに「利己的でも経済的もない経済的関心」を抱いているという1990年11月9日のブルック氏の演説は、撤退の意志を政治的に宣言したものとして解釈可能であろうか? もし可能だとすれば、英国は自らの誠実さを証明するために、アイルランド国民が新しい憲法を採択したならばアイルランドから撤退するということを公約しなければならない。

3. 上記二つの提案と関連して、すべての政治犯と指名手配リストに書かれた人々の釈放はなされなければならない。1970年から数千人が投獄という大きな試練に耐えている。そして、1971年の拷問から、10人がハンガー・ストライキでなくなった1981年に至るまで、バーミンガムの6人、ギルフォードの4人、ジャディス・ワードその他多くの人が不正な扱いを受けている。フェニアンの時代から未曾有の状況だが、獄中に18年間もとどまっているものもいる。憲法制定会議の選挙の1か月前にすべての政治犯が釈放されなければならない。

上記3つの提案が受け入れられたなら、軍事的闘争の継続は必要なくなるであろう。そのような活動に加わっているすべての者は、英国を含めて、このような提案を受け入れると同時に活動を止めるべきである。そうすれば、新しい自由の精神が国じゅうに行き渡り、アイルランド国民は、未来のアイルランドを作るための本当の議論の入り口にようやくのことでたどり着くことができるであろう。

これらの提案を採用できなかったならば、さらなる生命の損失、警察による国民への嫌がらせ、数百人の刑務所内での衰弱、雇用がないためにわが国から数千人の亡命といった、現在の状況が延長されることになる。そのような状況は、続かせてはならないのだ。

Seo e Bothar na Siochana
(平和の道はここにある)

 

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