●特殊グループ・アルファ
Spetsgruppa "A"
●創設
アンドロポフ書記長時代、1974年にKGB第7局の監督下に対テロ部隊として創設。
当時の第7局長アレクセイ・ ベシチャストノフは、米軍のデルタ・フォースにならって特殊グループ・アルファを作った。そして、デルタ・フォースと同様の対テロ・人質救出任務を与えた。
●経歴
アフガニスタンのカブールのダルラマン宮殿の奪取、アフガン大統領とその家族の殺害が最初。アルファは、ヴィンペルとともにコード・ネーム、ゼニート(天頂)と呼ばれる作戦部隊を構成、作戦に参加した。
トビリシ、バクー、リトアニアのヴィリニュスにおける秘密作戦に参加。ここで当初の任務である対テロと犯罪対策の役割を担った。
ロシアのホワイト・ハウスの襲撃とエリツィンの逮捕を拒否。
1991年後半に大統領の監督下に移管され、新しい保安省の警護総局(GUO)下の大統領警護部隊となった。
1993年10月の大統領と議会の対立時:保安省のエリート部隊は、1991年8月のクーデター時のように彼らの指導者の命令を拒否。そのため、保安相バルスコフは、特殊グループ・アルファのメンバーの中から『志願兵』を募り、BMPに乗車させて議会ビルに接近させた。志願兵は当初、進入することを拒否していたが、ビルからの狙撃により負傷者が出たのを見て、特殊グループ・アルファの事実上全部隊がビルの襲撃の準備を整える。十分な火力を持って、バルスコフとコルジャコフが先頭に立ち、MVDの支援によりビルに突入。主としてビルの警備を担任し、『反乱』から再占拠。
この結果、アルファは、大統領の監督下に移管され、その後FSB局長ミハイル・バルスコフ麾下の連邦保安局(FSB)に移管された。
1995年10月、テロリストにより占拠されたバスへの突入に参加。数名の韓国人観光客を乗せたバスは解放され、テロリストは突入時に射殺された。
MVD、FSB及び対テロ・センターから成るチェチェン特別部隊の一部として、チェチェン反乱に対する作戦に参加するためにチェチェンに配置された。
96年12月にモスクワのスウェーデン大使館がテロリストに占拠されたとき、アルファの某中佐がスウェーデン大使の身代わりを申し出て大使を無事に救出。某中佐はその後の突入の巻き添えとなり、殉職した。この功績を称えて、彼は最新のロシア連邦英雄となった。その命日は期しくもFSBの日(12月21日)であった。
●戦力
約700名程度。
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