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世界のテロ組織と対テロ組織
Terrorist & Counter-Terrorism

 

ロシアの対テロ組織
Russia 1
旧KGB系

 

●旧KGB系特殊グループ

  • 特殊グループ・アルファ(Spetsgruppa "A")
  • 特殊グループ・ヴィンペル(ペナント)(Spetsgruppa "Vympel")
  • 特殊グループ・カスカード(滝)(Spetsgruppa "Kaskad")
  • 閉鎖型株式会社グロム(雷)(GROM Security Company)

 旧KGB系統の特殊部隊は、不合理な命令は拒否したり、(比較的)レベルの低い MVDと共に働くことを潔しとしないなどかなりプライドは高そう。 また、人質救出のためには自らの生命も犠牲にするなど、凶暴さだけが強調される一般のイメージとは少し温度差がある。

 スウェーデン大使館救出時に殉職した某中佐の葬儀には、FSB職員のみならず、一般市民も多数参列した。旧KGB職員は、今でも社会的地位が高く(彼らは軍人である)、市民の尊敬を集めている。このあたりもハリウッド映画やスパイ小説とは異なる。

汚職と組織犯罪が蔓延する現在の状況下においては、市民はむしろFSB等に昔のような強腕を期待している向きがある。だが、旧KGB職員によれば、彼らは『法の番人』であり、旧ソ連時代ですら厳格に法を遵守していたらしい(もっとも、ゴルバチョフ時代までその規範法令は非公開だったが)。

一般に喧伝されている旧KGB職員に求められる資質は、このようなものである。すなわち、『冷えた頭と熱き心と清き手』である。

 

●特殊グループ・アルファ
Spetsgruppa "A"

●創設

 アンドロポフ書記長時代、1974年にKGB第7局の監督下に対テロ部隊として創設。
 当時の第7局長アレクセイ・ ベシチャストノフは、米軍のデルタ・フォースにならって特殊グループ・アルファを作った。そして、デルタ・フォースと同様の対テロ・人質救出任務を与えた。

●経歴

 アフガニスタンのカブールのダルラマン宮殿の奪取、アフガン大統領とその家族の殺害が最初。アルファは、ヴィンペルとともにコード・ネーム、ゼニート(天頂)と呼ばれる作戦部隊を構成、作戦に参加した。

 トビリシ、バクー、リトアニアのヴィリニュスにおける秘密作戦に参加。ここで当初の任務である対テロと犯罪対策の役割を担った。

 ロシアのホワイト・ハウスの襲撃とエリツィンの逮捕を拒否。
 1991年後半に大統領の監督下に移管され、新しい保安省の警護総局(GUO)下の大統領警護部隊となった。

 1993年10月の大統領と議会の対立時:保安省のエリート部隊は、1991年8月のクーデター時のように彼らの指導者の命令を拒否。そのため、保安相バルスコフは、特殊グループ・アルファのメンバーの中から『志願兵』を募り、BMPに乗車させて議会ビルに接近させた。志願兵は当初、進入することを拒否していたが、ビルからの狙撃により負傷者が出たのを見て、特殊グループ・アルファの事実上全部隊がビルの襲撃の準備を整える。十分な火力を持って、バルスコフとコルジャコフが先頭に立ち、MVDの支援によりビルに突入。主としてビルの警備を担任し、『反乱』から再占拠。

 この結果、アルファは、大統領の監督下に移管され、その後FSB局長ミハイル・バルスコフ麾下の連邦保安局(FSB)に移管された。

 1995年10月、テロリストにより占拠されたバスへの突入に参加。数名の韓国人観光客を乗せたバスは解放され、テロリストは突入時に射殺された。

 MVD、FSB及び対テロ・センターから成るチェチェン特別部隊の一部として、チェチェン反乱に対する作戦に参加するためにチェチェンに配置された。

 96年12月にモスクワのスウェーデン大使館がテロリストに占拠されたとき、アルファの某中佐がスウェーデン大使の身代わりを申し出て大使を無事に救出。某中佐はその後の突入の巻き添えとなり、殉職した。この功績を称えて、彼は最新のロシア連邦英雄となった。その命日は期しくもFSBの日(12月21日)であった。

●戦力

 約700名程度。

 

●特殊グループ・ヴィンペル(ペナント)
Spetsgruppa "Vympel"

●創設

 KGBのS(イリーガル)局長ユーリー・ ドロズドフの発案により、1981年、KGB第1総局(現SVR)の下で戦時に活動する牽制・浸透部隊として創設。

 初代指揮官エヴァルド・コズロフは、敵後方深くにおいて情報及び破壊工作任務を実施できるようにヴィンペルを訓練した。

●任務

 戦時任務には部隊指揮官と情報将校の暗殺及び誘拐を含む。

●訓練

 外国語、サバイバル、武器の取扱、空挺作戦に熟練。主要な侵入方法は空挺降下だが、潜水艦及び水上艦からの上陸侵入の能力も完全に有している。
 
 訓練の一部として、キューバ、ベトナム、中央アメリカ及びアフリカの世界数カ国に派遣され、実戦においてその練度を向上させた。一説によると、訓練任務としてアラスカにも侵入していたらしい。

●経歴

 特殊グループ・アルファとともに、ゼニートという作戦グループの一部としてダルラマン宮殿の襲撃に参加。

 1987年までに、国内対テロ部隊の一部とされ、ソ連周辺の各種紛争地に配置された。主としてKGBの秘密侵入任務を遂行し、ロシアの最初の対核テロ部隊として使われたことでも知られている。

 1991年のクーデター時、エリツィン襲撃を拒否。
 1991年8月、特殊グループ・アルファとともに警護総局(GUO)に移管された。

 1993年のエリツィンの命令によるホワイト・ハウスの襲撃を拒否、MVDに移管された。ここで大部分のメンバーが脱退、民間分野に入った。残りはMVDの特殊部隊のメンバーと合流、新しい部隊「ヴェガ」が創設された。

 1995年8月、ヴェガは、連邦保安局(FSB)に移管。
 
 ヴィンペルが対テロ部隊としてSVRの下で再建されているという根強い噂もある。

 

●特殊グループ・カスカード(滝)
Spetsgruppa "Kaskad"

●創設

 1981年にKGB第8局の監督下に創設。
 1988年までウラジーミル・クリュチコフの管理下。

●任務

 オメガ(1)、ゼニート、グロム(雷)、ベータ(2)など、KGBの他の特殊部隊は対反乱、浸透、破壊工作任務を遂行するが、カスカードは敵戦線後方深くにおいて信号情報(SIGINT)を収集する。

注1:オメガ=アルファと同様又はその支援任務を遂行すると思われますが、詳細は不明
注2:ベータ=訓練部隊のようです。アルファと共にFSBに健在

 一説によると、カスカードは、第8局が連邦政府通信・情報局(FAPSI)に再編されたときに解散されたという。

 

●閉鎖型株式会社グロム(雷)
GROM Security Company

 KGBの特殊グループにちなんで名付けられた。
 この民間会社のメンバーは、ほとんどがKGBの元エリート部隊員。
 「閉鎖型株式会社」とは、株式があらかじめ定められた者にしか配分されないものをいう。

●戦力

 1,000名以上。
 
●事業

 ロシア政府との契約に基づき、鉄道、航空機、個人及び重要建物の警備を行なう。
 メンバーは個人警護に精通し、火器及び刀剣類の使用に熟練している。その任務の遂行のために秘匿武器を携帯することが許可されている。

 

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