●特別任務民警支隊:オモン
OMON(Otryad Militsii Osobogo Naznacheniya)
MVDの特殊戦闘部隊の中で最も有名。
別名「ブラック・ベレー部隊」。
ラトヴィアのリガ及びリトアニアのヴィリニュスの税関哨所・通信施設に対する反復襲撃を行って、悪名を馳せた。
●創設
1987年、MVDの監督下においてモスクワに創設。
ソ連MVD公共秩序警備総局副局長エドゥアルド・リャザノフ民警大佐の指揮下、モスクワにおいて閣僚会議により任務を与えられた。
命令は、ソ連共産党書記長から出され、閣議により承認された。
共和国MVDは、その共和国におけるOMONの作戦に対していかなる監督も行わない。
●編成
各部隊は計150名の5個分隊から成る。
ゴルバチョフ時代、OMONの民警職員の平均年齢は、25歳。
ほとんどは、ロシア、バルト又はポーランド人でした。彼らは、良く訓練され、冷酷であり、任務以外のことは考えないことも多い。
●任務
防犯及び犯罪の摘発において、KGBと地域検察庁と協力。
ボリス・プーゴ内務相(当時)によれば、自然災害時や武装犯罪者を拘留するためにも使用されていた。
●経緯
ヴィリニュス支隊長B・マクチノヴィッチ少佐によれば、積極的な犯罪対策措置が任務であるのだから、「国内民族紛争に巻き込まれたこと」をモスクワに抗議した。
しかし、OMON支隊は、ロシア共和国、離脱した共和国を含めて、ソ連中において集中的に使用された。
バルト諸国の事件後、首都、州及び地方都に配置された34個OMON支隊は、共和国MVDの下の地域民警に移管された。
1991年当時、ソ連中に配置されたOMON部隊は約9000名。
1991年1月のヴィリニュス、1991年7月のリガ事件後も支隊数は増加。ヴィリニュスOMON支隊長は、リトアニアにおける襲撃の2ヶ月間で大尉から少佐に昇進した。
ゴルバチョフ政権下、OMONは、改革ではなく暴力の道具として、独立を望む共和国の市民に対する国家政策の遂行のための強力な道具となった。
現在、特別任務民警支隊(OMON)の組織・方法論的指導は、ロシア連邦内務省に委ねられているが、その直接指導を実施するのは、ロシア連邦構成共和国内務相、地方、州、自治州、自治管区、モスクワ、サンクト・ペテルブルグ市及びレニングラード州の内務局(総局)長。
人質解放等のような米国のSWATと同様の任務を遂行したり、デモや大規模騒擾時の予備戦力として活動しているらしい。
●OMONの設置基準
共和国、地方、州都又は人口30万人を越える最も困難な捜査状況にあるその他の大都市、並びにモスクワ、サンクト・ペテルブルグ、ロストフ・ナ・ドヌ、サマラ、ノヴォシビルスク、ハバロフスク、エカテリンブルグの大輸送拠点に創設される。
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