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東京クーデター
Tokyo Coup d'etat

 
第四章 クーデターの戦略・戦術
 

一 クーデターの諸条件

 クーデターを起こすには、周到な準備が必要であることはいうまでもない。が、この準備のありかたは、決起者と現体制との力関係によって異なってくる。たとえば、日本では、自衛隊が行うばあいと、民間人が行うばあいとでは、その準備も方法も相違するのは当然である。

 いずれにしても、かなり長期の準備期間を必要とするので、事前にある程度は計画を察知されるおそれがある。しかし、原則的には隠密な行為であり、意表をついて行うのが特長であるから、その全計画を予見されるようなことがあってはならない。

 クーデターに必要な条件として、一般に、人物・資金・武器の三つがあげられるが、その前提として、クーデターの目的――動機を明確にすることが きわめて重要である。と同時にその終結の処理も十分に考慮されていなくてはならない。このことは当然のようにみえながら、実際には意外と忘れられていることが多く、そのためもろもろの悲喜劇がうまれる。たとえば、二・二六事件においては、綿密な集結処理案が準備されていなかったため、多大の犠牲が払われたにもかかわらず、決起者側が排除しようとした権力者たちの権力をかえって助長するという皮肉な結果を招いた。

 以下に、クーデターを起こすための必要条件を述べる。

 

クーデターの目的――動機・処理

   目的の明確化

 クーデターの目的は、動機と結果とに分けることができる。動機の完成が結果である。(ついでにいえば、その過程が戦略・戦術である。)

 動機は、個人的な権勢欲や物欲、あるいは私怨などでないことが好ましい。かりに私的なものを「大義名分」によって隠蔽したとしても、それはいつか露呈し、大衆の信を失うにいたるだろう。

 真実の衝動から大義名分をたて、これを明らかにかかげることは、近代国家においてはとくに重要である。主義主張が不明瞭であると、たんなる徒党の暴力とみなされる危険があるばかりでなく、ときには、体制側からその虚をつかれ、思わぬ反撃を加えられることもある。すなわち、クーデターの成否にもかかわってくるのである。

 また、目的のちがいによって、参加者の質・量も相違するだろうし、その戦術も当然変わってくるだろう。

 

   事後処理

 クーデターが勝利に終わった時点から、処理の問題が具体化する。

 処理は、それが動機と一体である以上、だだちに着手しなければならない。

 まず第一に、政策の発表とその実施である。権力をにぎりながら、見るべき政策とその実施がなければ、必ず反動があるものであり、勝算はまったくおぼつかない。

 政策は、実情にあったものでなければならない。つまり、広く国民の支持を受けるにたるものであることが肝要である。しかも、これはごく基本的なものに止めておくほうがよい。あまりにも細部にわたることは、かえって世論を沸騰させ、収拾を困難にするだけでなく、反対勢力につけいられることもあるだろう。もともとクーデターは、国民大衆の側にたって行うことを名目とする場合が多い。したがって、国民不在の政策は、クーデターを必ず失敗にみちぴく。

 政策の実施は、敏速果断でなければならない。ためらうことなく、あらかじめつくられた青写真どおり、一つ一つ具体的に推進していくのである。

 クーデターの事後処理は、一般的な戦後処理とはちがう。クーデターにおいては、相手に徹底的な打撃をあたえて再起不能におとしいれることはしない。政権の座からひきずりおとすだけである。いつ敵が反撃体制を整えるかわからない。たえず危険をはらんでいるなかで、事後処理は行われるのである。いわば、戦中処理といってもよいだろう。したがってクーデターのばあい、意に反した方向に流れぬよう、常に実効の確認を怠ってはならない。

 これまでのクーデターの例をみても、具体的な処理方式の不十分なものは、一時的に政権をにぎっても、すべて失敗に終わっている。たとえば、労働運動のうえに偉大な足跡を残し、レーニンもここから多くを学んだといわれるパリ・コンミューンも、軍事的指揮に統一がなく、かつ、地方農民との提携に失敗し、七十日の短命に終わった。政権樹立後の処理が不十分なために失敗した例である。

 もう一つ、事後処理に際して問題になるのは、クーデター主謀者らと次期政権担当者との関係である。ターデター側に、国民大衆の信頼をつなぎとめ、政権を担当する能力があったばあいでも、現実には国民感情が許さないことがある。したがって、ただちに自らが次期政権をにぎろうとするのは得策ではない。信頼できる第三者に政権をゆだねるのが賢明である。ただ、クーデター側の青写真が忠実に実践されていくかどうかについては、爾後も十分に監視する必要がある。そのためには、監視委員会のような、十分に実力をもった組織を保持し、政権が安定するまで監視と支援をつづけなければならない。

 

クーデターの主役たち

   第一の主役−自衛隊

 クーデターの実態を見ると、軍隊(軍人)が主役となっているばあいが多い。二・二六事件のように、軍人と民間人とが合体して行った例もあるが、これも行動の主役は軍人であった。また、自衛隊の同調をねらった三島事件(昭和四十五年)のようなものもある。

 軍隊がしばしば登場するのは、さきに述べたクーデターの必須条件である人員・武器・資金のうち、人員と武器とを軍隊があわせもっているからである。クーデターの際の資金が、主として武器の購入、人員集めのために使われることを考えれば、軍隊をつかむことによって、資金の必要性は半減するといってよい。

 日本のばあい、自衛隊は、自己の地位に関してつねに不満をもっているとされている。そこに今日、自衛隊クーデター本命説の台頭する要因がある。それも、主力が艦船である海上自衛隊より、やはり本命は陸上自衛隊であろう。

 しかし、ここに問題がないわけではない。陸上自衛隊はもとより、海・空自衛隊とも、隊員の構成はきわめて複雑になっており、戦前ほど容易にクーデター実行にふみきることができるかどうか、という点である。

 防衛大学校第一期卒業生(昭和三十二年三月卒業)二八六名全員が、昭和四十七年三月、三佐(旧軍の少佐にあたる)として陸・海・空自衛隊の中堅幹部のボストについた。彼らは、六・三・三制の教育を受けて育ってきた者たちである。第二期、三期、四期と下るにつれて、戦後民主教育の影響をいっそう強く受けてきた若者たちに占められている。

 昭和四十七年四月、防衛庁前で「沖縄派兵反対」の声明文を読みあげた五人の自衛官は、十九歳から二十三歳の一等陸士(同・上等兵)である。この一事からも、今後の若者の思想の動向の一端がうかがわれる。

 反戦自衛官は、この五人に止まらない。反戦現職自衛官約二〇〇名(自衛隊内反軍)、退役自衛官約三〇〇名(隊友反戦)のほか、労働者、学生による組識四〇〇〜五〇〇名(反軍行動委員会、全国六十支部)、市民による組織(反軍闘争を支援する会)もあるといわれる(『週刊現代』昭47・5・18号)。もちろん、隊員のなかには、民族主義でガチガチに固まった者があることも事実であるが……。

 自衛隊の思想的脆弱性は、次のことからも見られる。

 昭和四十七年六月十五日の沖縄復帰に際して、沖縄県民は自衛隊の沖縄進駐に激しく反対した。このことは、自衛隊に対する日本国民全体の拒絶反応を象徴しているものである。この拒絶反応は、自衛隊の定員を充足させない現状をうみだした。いきおい隊員のポン引き募集が行われ、昭和四十年の一年間で二千余件の刑事事件、また年間平均三百件に近い懲戒処分事件が自衛隊内で起きているという事実が示す“質の弱さ”がでてきたのである。

 また、自衛隊員のサラリーマン化という問題もある。自衛隊は安保条約にもとづいて、アメリカ極東戦略の一翼をになうことになっており、有事の際は、アメリカの太平洋統合軍司令部(在ハワイ)の指揮下に入るとされている。したがって自衛隊は、旧軍隊のように自国を守るという立場ではなく、戦略的にはアメリカの出先機関にすぎない。サラリーマン化するのもうなずけないことではない。こうした自衛隊員が、はたして「国軍」という自覚をもちうるだろうか。こうした自衛隊員を引率して、よくクーデターを戦いとれるだろうか。

 しかし、さきに述べたように、自衛隊がクーデターを行うばあいは、武器や人員の獲得は、他にくらべてはるかに容易である。資金は不要に近い。これが、第一の主役たるゆえんである。

 

   第二の主役

 第二の主役は、1民間人と自衛官の合作、2民間人、である。

 1のばあいは、人員・武器の調達の面だけでなく、武器の操作を習得するうえでも便利である。

 2のばあい、人員・資金・武器の入手の困難さが、決起にあたって、はかりしれない大きな障壁となってあらわれるだろう。そこで、クーデターの重要な要素として「英知」が登場する。すなわち、微力な資金力・戦力をカバーするのが、人間の英知ということになるのである。

 

 ついでに、ここで今日の自衛隊の成り立ちをかんたんにみてみよう。

 一九五〇年(昭和二十五年)六月、朝鮮に戦火が起こると、アメリカはただちにこれに介入、日本駐留軍を参加させ、同時に、基地の治安維持その他の必要から、日本に警察予備隊をつくらせた。(連合国軍総司令部覚書による。陸上だけ)。五二年、日本の自衛力漸増の期待を定めた日米安全保障条約にこたえて、海上保安隊を加えて「保安隊」と改赦し、さらに五四年、日本政府は、自衛力増強、直接侵略への対抗手段などを織りこんだMSA協定に基づいて、防衛庁設置法、自衛隊法を制定、航空自衛隊を加えて、三軍方式の自衛隊に改組したものである。

 

クーデターと人物

 主役が軍隊(自衛隊)のばあい、その階級制度、指導命令系統からいって、指導者の人物そのものを論ずる余地はあまりないといえよう。しかし、クーデターの主役が軍隊(自衛隊)でないばあい、人の問題はけっしてゆるがせにできないことである。

「もしキューバ革命に、カストロが存在しなかったならば、キューバ革命は現時点では成立しえなかったであろう。……キューバ革命はかなりの、後年になっただろう」(ゲバラ『エピローグ――キューバ情勢の分析 その状況と将来』)

 クーデターを指導する人物については、あらゆる能力を一身に備えた超人的人物を期待することは不可能であろう。それぞれの面に卓越した才能をもつ人びとでもって司令部を形成するということが現実的である。たとえば、軍事面に明るい者、政治面で力のある者、金融面に豊かな経験を積んだ者というぐあいにである。こうした職能のほかに、人間として総体的に求められるべきことは、革命家としての情熱、勇気、決断力、それに、感情にまどわされない科学者的態度のもちぬしということになるだろう。

 ついでにいえば、司令部といっても、特にそうした形式的なものが必要だというのではない。主謀者、参謀、クーデターの協力者がそのつどの作戦会議、進行状況、政治・経済その他の情報交換、報告をそれぞれ行い、それを総合的にまとめることが大事なのである。また、その場所も、特にきびしい条件を必要としない。秘密アジトでもよいし、移動アジトでもかまわない。とにかく秘密のもれにくい場所でありさえすればかまわないのである。

 同志をつのるにあたって重要なことは、思想的に統一された組織を結成することである。前にも述べたように、チーム・ワークがきわめてたいせつであり、人の和がなくては成功は望めない。また、クーデターは、軍事革命のように事後に備えての兵力の温存を不可欠事とはしない。全力を受入して短時日に事を完了するに足る最少人員があればよいのである。いたずらに人が集まりすぎると、かえって失敗することも考えられる。人員の制限は、武器や資金の調達、訓練と秘密保持の面からも重要なことである。

 

武器

 クーデターにせよ、革命にせよ、その成果を握る直接的なものは、武器である。したがって、赤軍が自衛隊にもぐりこんで工作するとすれば、それは武器への執着と恐怖からである。右翼についても同様なことがいえよう。

 武器は、必ずしも最新式、精巧なものでなくともよい。戦闘に役だつものならなんでもよいのである。ただ、できるなら自衛隊が現在使用している武器と同様のものでありたい。(自衛隊がクーデターの主役であるばあいは、武器についての問題はまったくないので、ここでは、民間人の起こすクーデターについてのことである。)

 それは、事を起こした後に、体制側の精巧な武器をできるかぎり奪取しなくてはならないばあいが出る可能性があるからである。また、諜報網が厳重に張りめぐらされている今日、日本のように武器に対して監視の目の鋭い国で、精巧な武器に必要以上に執着することは、かえって監視の目にひっかかる危険がある。

 自衛隊と民間人との合作のばあいは、当然、武器の融通の可能性などが考慮されていい。

 ここで忘れてならないことは、クーデターを起こす以上、権力の中心部に一撃をあたえて、政治的機能を一時的に停止させなくてはならないということである。ところが、現在では、権力側の実力的支持者は、自衛隊という暴力組織である。したがって、この組織に対する工作を怠ることは、ぜったいに不利である。

 

資金

 資本主義社会は矛盾にみちている。したがって、財閥のなかには、必ずしも現体制に同調していないものもいるとみてよい。

 次のような例がある。

 昭和八年七月、神兵隊事件というクーデター計画事件があった。これは、右翼団体と軍人によるもので、首相以下、政・財界の要人を殺害し、軍部政権を樹立しようとしたものであった。計画は事前に洩れ、決行日(同月十一日)前夜、弁護士天野辰夫ら主謀者側四十六名が明治神宮内に集合したところを、一斉検挙され、事は終わった。この計画の遂行にあたっては、空から警視庁を爆撃する予定もふくまれていた。

 ところが、この計画の資金が、なんと某デパート重役・証券業者から出ていたというので、世人を大いにおどろかせたものである。とにかく、資金調達は、くふうと努力によっては、必ずしも困難なこととは思えないといってよいだろう。

 

訓練

 人員・武器・資金の準備が整ったあと、残された重要な問題は、訓練である。このばあいも、自衛隊が主役のばあいは別である。

 クーデターに武器や最新の科学機器が使用される以上、その操作に習熟することは当然の必要事である。どのように精巧な武器や機器をもっていても、その性能を十二分にはたらかせなくては、まったく無意味である。

 訓練は、武器などについてだけではない。言語・行動の訓練も重要である。言語の伝達を誤まったならば、すべては混乱し、破滅する。また、クーデターが二分一秒を争う電撃的作業に終始しなければならない以上、すべての行動は、沈着のなかにも敏速・正確になされることが必要である。また、訓練には、このような肉体的訓練のほかに、あくまでも事をなしとげようという精神面の訓練もふくまれよう。いわば、根性の養成とでもいってよい。

 実行段階のなかで起きる過失は、戦争とちがってクーデターのばあいはほとんど修正できない。また、とちゅうでの変更には非常な危険が伴う。したがって、予備訓練が寸分のちがいもなく、そのまま実行に移されなければならない。もちろん、現場を想定した訓練を行わなければならないが、同時に、なんらかの形で現場を実地に調査し、実行にあたってまごつかないようにしておかなければならない。

 

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