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東京クーデター
Tokyo Coup d'etat

 
第四章 クーデターの戦略・戦術
 

二 プロパガンダとアジテーション

 革命やクーデターにおいて重要な役割をはたすものに、プロパガンタ(propaganda 宣伝、特に政治宣伝)とアジテーンョン(agitation 扇動・アジ)がある。

 この二つは、まったく性格を異にしているとはいえない。プロパガンダのなかにアジ的要素をふくむことがあるし、アジテーションのなかにプロパガンダを入れることもある。事実、プロパガンダのなかに、なんらかの形でその宣伝を実行させようとする扇動的意図がなければ、宣伝は弱くなるし、アジテーションのなかにも、大衆の理解と共鳴を得るためのプロパガンダがなければ、扇動にのってはくれない。どちらの性格が強いかで、プロパガンダかアジテーションかということになる。

 この両者は、その用い方しだいでは、核兵器に優るとも劣らない力を発揮する。一九一七年(大正六年)のロシア革命の際、ポリシェビキの行ったアジテーションが、反革命流の陸軍士官候補生、コサック集団を、もののみごとに革命派あるいは中立に転向させたという実例が、このことを証明している。

 卑近の例としては、ベトナム戦争で、南ベトナム軍第五十六連隊の連隊長以下全員が解放軍に投降した事件がある。新開・雑誌などでも報道されたが、ここでは『週刊貌代』(昭47・6・5号)から、その記事の一部を引用してみよう。

 

   連隊会議で決議して投降

 ファム・バン・ディン中佐は、第三師団第五十六連隊長だった。

 クアンチ省タンラム戦闘中に反戦決起して連隊全員で解放軍に投降した。なお一個連隊全員が解放勢力に走ったのはベトナム戦争史上始めての出来ごとといわれている。

 三十六オのディン中佐は、政府連隊長中もっとも若い連隊長で、「大佐に昇進するまぎわだった」という。――(中略)――グエン・バン・チューが“ベトナム化成功のモデル”と評したほどの“要衝″タンラム基地を守った第五十六連隊の“集団投降”は、かいらい軍にとっては大ショックだと思うが。

「たしかにその通りだ。タンラムは地形にも、また、強固な施設にも恵まれていた。百七十五ミリの巨砲をはじめ、各種火力や爆薬も豊富だった。

 しかし、それだけでは勝てない。なぜならば、かいらい軍であったわれわれは不義の軍隊として、人民の正義に敵対したのだから」

 連隊は、決議声明を出した。

 第五十六連隊全員の決議にもとづく声明(投降……(中略)……

 これまで解放軍は「十項目」の呼びかけを政府軍に行って投降をすすめていた。厭戦気分にある南ベトナム政府軍兵士には、その内容は魅力あるものだった。

 その呼びかけの内容をみると、

(a) 各種兵科、兵種のかいらい正規軍の兵士、将校で、アメリカ=チュー一味の残虐なる軍事制度に反対し、かれら自身とその家族の生活条件改善を要求するものは、人民と革命権力の同情と支持をえられる。

(b) 前戦へ出動命令、カンボジア、ラオスへの出動命令に対し、あるいは、家族と人民のところへ帰るためその隊列を離れる個人、集団、部隊は、人民と革命権力から積極的に保護され、生活手段入手の上で援助をうけ、その家族のもと、故郷へ帰る機会を与えられる。

(c) 前戦で蜂起をおこし、解放勢力に適時に自分たちの行動を通信する兵士、将校、個人、集団、部隊には、援助があたえられる。(一部のみを掲載したようである。著者)

 つぎは、国道九号線沿いのケジャオ(ダウマ)基地での激戦で、あッという間にセン滅され、逃走したが解放軍に捕えられた海兵隊第百四十七旅団、ハ・トウッタ・マン少佐とのインタビュー。

 ――あなたは、解放戦線の“政府軍兵士”公務員に対する十項目政策を知っていたか。

「兵士たちは、すでに何回も公然と解放戦線のラジオによる呼びかけを開き、また、昨年この国道九号線で捕虜となったサイゴンかいらい軍兵士の体験談にも耳を傾けていた。

 わたしも、指揮官という立場上知らないフリをしていたが、実は、部下のラジオですでに何度も開いていた。昨年、ラオス侵攻のさい捕虜になった、第三旅団長グエン・バン・トウ大佐の話も聞いた。」

 ――今度の解放軍の大攻勢に、あなたがたは、ほとんど戦うこともなくカイ滅し、逃走したが、なぜ“十項目”を知っていて、投降しなかったか。

「たしかに、わたしを含め全員が“十項目”を知っていたし、また、ほとんど全員がPRG(臨時革命政府)を信頼していたことも事実だ。しかし“現実にどうするか”という態度決定を、それもあの凄まじい砲弾の雨のもとで、迫られると、やはり不安になったのだ。

 だから、兵士の心理は、逃げられるものならば、捕虜になるよりはその方がいいという方向に動いたのだろう」。

この他に無数の兵士の戦線の脱落は、マスコミ報道で、すでにご存知の通りである。

 

 アジやプロパガンダがいかに大きな効果をあげているかは、この一事でもよくわかる。ロシアの革命家たちが、敵軍内に潜入し、政治宣伝・扇動に活躍しただろう姿も、ベトナム戦のこの一コマから想像できる。ロシア革命の父といわれるレーニン(Vladimir Iliich Lenin)は、すぐれた革命理論家であると同時に、すぐれたアジテーター、プロパガンディストでもあった。

 わが国での最近の例をあげてみる。それは、昭和四十七年三月の衆院予算委員会(二十七日)での、社会党横路孝弘代議士の沖縄返還にかかわる発言である。もちろん、これなクーデターや革命を意識してのプロパガンダであったわけではないが、国民の政府不信をあおるうえで、大きな効果があった。横路氏は、日米の沖縄返還協定第四条三項は日本国民をあざむくものであると、その裏面を暴露して政府を追求した。これが、外務省機密漏えい事件に発展する。

 もともと国民の大多数は、体制側の発表をあまり信用しない。(浅間山荘事件で、機動隊の放水に村して赤軍の五人が、人質の牟田泰子さんのために人壁をつくって守ってくれたとか、その他かれらを弁護することばなどを、警察がかん口令を出して外部にもらさないようにしたようだと、ある週刊誌は書いていた。また、外務省の機密漏えい事件の本筋にはまったく関係ないはずの西山・蓮見両氏の個人的問題を暴露して、事件の本質から国民の目をそらせようとしたとも思える行動を体制側はとっている)。しかし、信用していなくても、これを否定しさるだけの材料をもっていない。だから、この種の暴露は、事の内容にもよるが、かなりの効果をあげることができる。

 すなわち、国民の支持を反体制側に転換させることに役だつだけでなく、体制側やその支持諸機関(自衛隊を含む)の士気を阻喪させ、ときにはその力を徹底的に破壊するにいたる。そして、反体制側をいっそう有利に導くことはいうまでもない。

 この宣伝・扇動工作は、クーデターの準備期間中に行うのが効果的である。さまざまなマス・メディアの発達した今日、体制側の非政をあばく資料をマス・コミに提供する方法もあろう。しかし、このことで自己の正体をつかまれ、逮捕される危険があるようなばあいは、当然中止すべきである。

 ここで注意しておきたいのは、プロパガンダやアジテーンョンがいかに強力な武器であったとしても、それは真実に基づかないもの――デマであってはならないということである。つくりあげられた虚構であることが判明したとき、「扇動」「宣伝」はたちまちその神通力を失ってしまい、その後においても回復することはない。

 また、逆に権力側の謀略宣伝=デマゴギー(Demagogy)が行われることも予想される。このことをあらかじめ考慮にいれておいて、それらへの対策をたてておくことも、戦略家のなすべき任務である。

 

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