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IRELAND 共和主義シン・フェイン党 UnOfficial
 

1986年:
ドーヒー・オコナル(DAITHI O CONAILL)による
共和主義者の基本的立場の概説

 


以下は、共和主義党前党首ドーヒー・オコナルが、西ベルファストの新聞 "Andersonstown News"(1986年12月6日号)でのインタビューに答えたものである。これは、多数派が26州国家の合法性を受け入れることに投票した1986年11月第82回シン・フェイン党アルド・エイス(Ard Fheis=議会)の直後であった。少数派はその場を立ち去り、アルド・エイスを別の場所で再開し、共和主義シン・フェイン党として再結成された。ドーヒー・オコナルは1970年から1983年のシン・フェイン副党首であり、英国支配なきアイルランドの4地方連邦のためのEIRE NUA(エーレ・ヌア)政策を立てた人物でもある。彼は1986年から再びシン・フェイン党副党首を務め、1991年元旦に亡くなった。

 

 

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アルド・エイスでの多数派の決定を受け入れず、投票拒否主義に基づいた決定に反する共和主義運動に参加されたのはなぜですか。

基本的原則についての同意がない場合、同じところにいる意味はない。レンスター議会に立候補した人たちは過去3年間立候補してきたのであり、今年敗れていたとしても、彼らが来年同じ政策を掲げて再立候補するだろうということは目に見えている。

このように、レンスター議会びいきの人々が9票の僅差で勝った。少なくとも決定はなされたのだし、利害関係についての基本的な原則に関して、方法論の分離は避けられなくなった。以前から知られているように、共和主義者の現実の主体は、分離主義者の議会への参加を決して認めることがない。そうでなかったのは1922年、26年、28年、29年だけだ。

共和主義シン・フェイン党は、1916年宣言とその後の1919年の独立宣言で堅持されてきた基本的共和主義の立場を保持するよう決めた人々の集まりである。道徳的権威、力、責任は、過去に働いてきた人々から現代に受け継がれた。我々がレンスター議会を合法的なものと認めるために、26州の合法議会は我々に嘘を信じて神聖な信託を裏切るように仕向けようとしてきたが、そうはいかない。

 

 

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ジェリー・アダムス(Gerry Adams=暫定派シン・フェイン党党首)は、この決定はアイルランドにくまなくすべてに渡って広がった思いを反映しているのだといいました。それは受け入れられますか?

いや。レンスター議会びいきがわずか9票差で通ったという事実こそ、アイルランドにくまなくすべてに広がった思いではなかったことを示している。この問題は賛成多数で決まったのではない。アルド・エイスの2週間前にIRA執行部がレンスター議会を支援すると発表したとき、道徳的ゆすりとして使われた。もし動議162に反対投票すれば、それはIRAへの反対投票ということになるからだ。60以上のクマン(団体)が共和主義シン・フェイン党と提携するという決定に署名した事実は、アルド・エイスでの投票が広範囲に広まった反対意見を反映していないということを示している。ここ1週間で Iris na Poblachta が1万部配布・販売されたが、そのことこそ基本的共和主義の立場がしっかりしていることを示していないか。

 

 

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共和主義シン・フェイン党はどのようにして32州アイルランド共和国を達成することができるとお考えでしょうか。

アイルランドのことに関する英国の干渉に反対する国内外の人々を組織することによって。政治的、社会的、経済的、文化的な植民地主義と搾取のいかなる形態に対してもアイルランドの人々の関心を保つことによって。そして、すべてのアイルランド人の解放するための政策を考案することによって。これは、我が国の子供たちすべてを大切にし、コミュニティの政府に届いた本当の民主主義的な声すべてが民主社会主義共和国の建設に向かって働くような政治機構を含む。

 

 

1981年からの暫定派シン・フェイン党の政治的関与によってどのような恩恵があったでしょうか。そして、我が国の再統一を助けるような自由国家政策にどのような恩恵があったのでしょうか。

ファーマナー州・ティローン州南部のボビー・サンズの選挙は、ハンガーストライキ運動全体に直接的な効果があった。現在レンスター議会に入ることへの最強の支持者の中にも、選挙でボビー・サンズを後押ししようとする申し出が少なからずあったのだ。

自由国家議会に入ったとしても、この国の再統一を早めることにはならない。忘れてはならないのは、レンスター議会は英国が我が国の分離を維持するために作られて押しつけられたものであり、その任務をかつて果たしてきたし、まさに今も果たしているということだ。自由国家建設のための政策というのは英国野郎との緊密な関係のことであって、レンスター議会に議席を持っている少数の人間はそれを変えようとしない。自由国家設立は、我が国の分離が固定された60年以上にわたって作り上げ、今日まで続いている軍、政権、官僚によって構成されている。

その60年の歴史の中で一度たりとも、レンスター議会のどんな議員や集団も、英国の撤退を協議するために英国野郎と向かい合ったことはなかった。

そのような協議をしたのは他の人々で、最初1972年に、次が1975年だった。英国人はそれから共和主義者の執行部をアイルランドの政府として実質的に認めるようになったのだ。

 

 

レンスター議会への参加は、ウェストミンスターへの道の最初の第一歩にならざるをえないのでしょうか。

レンスター議会に入るためのいいわけだった。南部の多数派は、その議会を合法的議会と見ている。そのような原則を受け入れるならば、論理的に新ストーモント(Stormont)とウェストミンスターへの参加を主張することになる。6州の多数派はそれを合法的議会と認めているからだ。

ポリシーのあるリーダーは、二足の草鞋を履くわけにはいかない。ポリシーは分割できないのだ。

 

 

暫定派シン・フェイン党はどうやって選挙資金を得るのでしょうか。

それは彼らに聞いてくれ。ただ、私は、自由国家シン・フェイン党はレンスター議会に選出されるために26州内で資金を調達することはむずかしいだろうと思う。アルド・エイス以来、彼らの中の多数が共和主義シン・フェイン党に接触してきた。それに、北の共和主義者が、寛大にも自由国家や新ストーモント議会選挙のために寄付をするなど見たためしがない。もし彼らが目標の20議席を争うなら、最低でも1議席あたり£12,000 かかるから、25万ポンドということになる。誰かを選ばせようとするのでないなら特に金がかかる。で、IRA指導部は現在の政策の完全な支援を受けているから、大量の選挙のための借金を補うため、多額の資金を武装闘争から振り替えるようIRA指導部に頼みに行かなければならないだろうと思う。

これも心にとめておいてほしいが、国家的EEC選挙からの目立った借金がいまだにあり、来年のストーモントとウェストミンスター選挙とで£100万にもなるだろう。そんなお金を集めることができるのか、もしできれば彼らはそれを戦争に向けるだろうし、それは別の闘争の地獄を作ることになろう。

 

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目的 基本的立場 インタビュー
政策 Eire Nua Saol Nua 平和なアイルランド
  アイルランド共和主義 生産手段 宣言 立場 ブレア
党史 選挙声明 1905〜1956 1970分裂 1971 1986分裂 選挙禁止
人物:ジェームズ・コノリードーイヒー・オコナル

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