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IRELAND 共和主義シン・フェイン党 UnOfficial
 

アイルランド共和主義とは何か?

 


初出は1970年12月9日 Irish Independent,

 

 

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By シン・フェイン党党首ライリー・オブラディ

フェニアン運動の時代からアイルランド共和国同盟(IRB)、1916年と最初のドーイル(議会)を経て現在に至るまで直接の組織的連続性を保っている共和主義運動にとって、アイルランドの共和主義とは非常に厳密で、また極めて包括的な意味合いを持っている。

厳密な意味では、アイルランド共和主義者とは、1916年復活祭の32州共和国に忠誠を示し、当地における英国政府の支配権を否定する者である。かの共和国政府としての1919年の第一回ドーイル・エーランの設立にあたって、その支援者は共和主義者であった。その人たちはまた、1921年と1922年に二つの分断国家――6州と26州――を当地に設定することに反対した人々であった。

英国に経済的に盲従している南北双方の「条約」国家は、共和主義の具現化されたものであった全アイルランド・ドーイルを弾圧した。それゆえ、共和主義運動にとって、今日の共和主義者とはアイルランドの分断国家状態を拒絶し、復活祭における32州共和国を再現することに忠誠を示し、それを求めていく者なのである。

しかし、1922年に起こったことにはさらに深い分析が必要だ。国境の北では、数百年間続いてきたそのままの生活が続いている。違っているのは、現在は地元の支配階級が、ストーモントと呼ばれる私的権力機関、B-スペシャル警官隊と呼ばれる私兵、英国政府の軍事的・財政的両面における完全な後援を手にしているということだ。彼らは恥知らずにもこの力を使って、プロテスタントとカトリックの労働者の両者を分断し、搾取による相互不利益をもたらしてきた。

26州において、自由のすべての象徴と装飾は、じわじわと勝利を収めていった。しかし、1930年代と1940年代の限られた努力にもかかわらず、新しい「国」は新しい植民地にとどまり、未完成で中断された革命の一例となり、領土的・経済的・文化的に「新植民地主義」のモデルとなってしまった。

それゆえ、1970年の共和主義者は、アイルランド国民のため、単なる物質的な32州の管理以上のものを求める者である。共和主義者はウルフ・トーン(Wolfe Tone)どころではなく、さらにさかのぼってノルマン人の侵略に抵抗したケルト人リーダーから連綿と続くライン上に立つ。しかし、目的をはっきりと述べたのは、「アイルランド共和主義の父」トーンであった。

「アイルランドにおける人権。最大多数の最大幸福。人の権利は神の権利であり、一方を立証することは他方を維持することである。完全な自由を与える神に仕えるためには、わたしたちは自由でなければならない」

フィンタン・ラロール(Fintan Lalor)は、同様に単なる政治的自由以上のものを求めた。彼は「自由についての憲法、文字、法律」についてこういう。「これらのものは、単なる紙切れにすぎない……法律と慣習に、本当に言いたいことを言わせるがいい。これらの真理はいかなる法律よりも強い。あなたの土地を管理する人々が、あなたの法律を作り、あなたの自由と法律を管理するのだ、と」。社会的・文化的・経済的遺産をアイルランド国民に取り戻すことが彼の目的であった。

ジェームズ・コノリー(James Connolly)はこう述べた。「最終的分析においては、抑圧に対するアイルランド国民の長年にわたる戦い全体が、アイルランドにおける生きるための手段、生産原料を勝ち取るための戦いそのものを解決する」

単にアイルランドの3色旗を掲げたり、郵便箱を緑に塗ったりする権利にとどまるようなものではなく、共和主義に深みと意味づけを与えることは、共和主義者の目的を、政治的・社会的・経済的・文化的次元とともにあるものと見なすことである。この役目を果たした1919年の第1回ドーイルの民主主義計画は、ある分野では片隅に注意深く残されてきたのだ。

32州すべての共和国という名目を完全に満たす共和主義者と自称しながらも、現在の社会的・経済的・文化的体制を変えることなくそのまま残し――あるいはもっと悪いことに、EECの自由勝手な資本主義と統合しようとする者たちが数多くいる。彼らは自分自身をごまかし、他人を惑わしている。

共和主義運動のために、多くの前線で闘うことのみが、「アイルランド国民へのアイルランド所有権」の回復(1916年宣言)の共和主義者の目的を達成するのである。このような闘争は必然的に、ウェストミンスター、ストーモント、レンスター議会として存在している議会や、帝国主義体制に吸収しようとする彼らの試みを、身動きがとれないようにする。

6州の「市民権」大臣たちがエニスキレン行進においてファーマナー市民権協会と喧嘩をしているあいだに、最近の議会代議士たちの何名かが労働党の大派閥から排斥されたのをわたしたちは見たのではなかったか。

アイルランドとその資源をアイルランド国民に回復させるために必要な手段はすべて、少なくとも英国軍の占領に対する物質的な実力行使も妨げられることなく、最後の手段として、使われなければならない。 この手段はもちろん二義的なものにすぎない――その目的にとって。そしてその解釈は大事だ。 共和主義運動にとって、共和主義の定義は、最終的な目標の性質と、復活祭蜂起における共和国への忠誠の状態によって決まる。

自由なアイルランドにわたしたちがうち立てようとしている社会・経済体制――労働者の所有権とコワル・ナ・ゴワーサン(Comhar na gComharsan=隣組)のアイルランド固有の伝統に基づいたもの――の内容については、政策演説において、また公式月刊誌 "An Phoblacht(共和主義者)"を通して概説してある。

 

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目的 基本的立場 インタビュー
政策 Eire Nua Saol Nua 平和なアイルランド
  アイルランド共和主義 生産手段 宣言 立場 ブレア
党史 選挙声明 1905〜1956 1970分裂 1971 1986分裂 選挙禁止
人物:ジェームズ・コノリードーイヒー・オコナル

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