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IRELAND 共和主義シン・フェイン党 UnOfficial
 

生産手段を国民に戻せ

 


初出は1970年12月3日、 Irish Pressの「どんな社会・経済システムがアイルランドに最も役立つか」連載。

 

 

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シン・フェイン党党首ライリー・オブラディ

社会・経済分野において、何世代にもわたる国家的抵抗運動の闘いは明らかに、アイルランドの富を、土地も産業も、取り上げられたアイルランド国家に取り戻すためのものであった。

このため、現代における共和主義運動の目的は、今なお、アイルランドにおける生産・分配・交換の手段をアイルランド国民に取り戻すことである。32州すべての本当の自由という共和主義者の目的は、一つの目標に対する手段にすぎない。その目標こそ、アイルランド国民のあいだで、国家の富が公平に分配される正しい社会・経済システムある。完全な自由がこれを達成するために必要であり、共和主義者はジェームズ・コノリーのこの言葉に賛成する。

もし諸君が英国軍を明日排除し、ダブリン城に緑の旗を掲げたとしても、諸君が社会主義共和国の組織化に着手しない限り、その努力は無駄に終わるであろう。英国は、その資本家を通じて、領主を通じて、この国に植え付けた商業主義的・個人主義的機関を通じて、諸君を支配するであろう。

それでは、1922年以来、南北のアイルランド経済の主立った特徴は何であろうか。6州は経済的には英国資本主義体制の抑圧された分家にすぎない。その失業者数は常に極めて高い――労働可能人口の約8%だが、一方英国の失業率は2%代を超えることがない。ナショナリストが支配的な地域(デリー、ストラベイン、ニューリーなど)では、平均はもっと高く15〜20%である。

住宅事情――差別は別にしても――は、ベルファストの最もユニオニスト的なシャンキル街路地区などの場所で嘆かわしいほどになっている。実際、イングリッシュ・ディペンデント・テレビの人が、先週わたしに、「(フォールス通りが同様の基準となるが)乾いたトイレのある台所の続いた小さな家から北シャンキルの人たちの多くは、ナショナリスト・ユニティー・ウォーク・フラッツの人たちは宮殿に住んでいると思っているんですよ」と言ったものだ! なんと皮肉なことか! それだけでなく、文化的剥奪と阻害は、6州地域で顕著に示される。

いくらかの変化や修正はあったけれども、26州の経済状況は基本的に1800年の合同法体制の延長である。南部国家状態は英国に安い食物と労働力を供給するものとなっている。産業開発のための主要な手段は国内資本だが、それも1958年の「製造物管理廃止法」以来、海外資本が増え続けている。英国貨幣との関係が深い現在の形を維持することによって、アイルランド国民の貯蓄は海外に流れ出し、国民は貯蓄を作り出す雇用を見つけるために流出した資本とともに海外に出なければならなかった。

ついでにいえば、わたしは最初の自由国政府のもとで行なわれた1926年のシャノン川電力計画、あるいは第2政権における1932年〜38年の、ボルド・ナ・モナ、砂糖生産の拡大などの部分的産業化における成功については、適切な評価を与え、認めることにしたい。

ここで必要とされる要約的分析から、わたしはここで疑問を提示する。「いかなる種類の経済・社会システムが、アイルランドに最も役立つのか?」シン・フェイン党の政策は、経済発展の主要手段は国家にあるべきだと描く。客観的に言ってわが国は発展途上国であり、世界中がスピードを速めていることなど多くの事柄を考慮すれば、緊急事態であるということに基づいて仕事に取り組まなければならない。たとえば、35年前、国家によって身動きがとれなくなった漁業は開発されなければならない。

いくつかの分野は天然の先買権を持っており、これらは、ちょうど経済分野の鍵となる銀行・保険・財政・鉱山・建設地(地方官庁はここで活動する)、セメント生産、漁業権などのように国営化しなければならない。

金は社会的管理のもとでもたらされる。それは経済の血液――あるいは、経済機能をなめらかにする潤滑油と説明するのを好む人もいるが、個人の手に管理をゆだねるには重要すぎるのである。信用組合は地元の基盤に置いて発展・拡大されるべきだし、現在認められていない地方自治体の事業への投資の権利も享受すべきである。共同運営銀行も、労働組合や農民団体と同じような利益を代表するものとして発展させられるべきである。

共和主義運動における社会・経済的考察は、コワル・ナ・ゴワーサン(Comhar na gComharsan=「隣人の共同」)哲学に基づいている。これは1939年にIRAラジオで放送され、1940年代初期に地下組織の"War News"で宣言され、その後、刑務所と捕虜収容所において真剣に議論・討論されたものである。これは労働者所有権に基づき、共同企業または分配的な性質を持つだけでなく、アイルランド土着のものである。シン・フェイン党のわたしたちにとって、それこそがわが「社会主義」であり、それはタンザニアのジュリアス・ニェレーレにとって彼のウジャマーすなわち家族状態が「アフリカ社会主義」の土台であるのとまったく同じである。

コワル・ナ・ゴワーサンは、農業・漁業・産業・分配的貿易において、労働者が所有する大規模な共同管理を想定する。組織と生産規模が大きくなることの利益は、東欧ブロック、アメリカ合衆国、EECといった巨人によって支配された世界の生存競争を見れば明らかである。労働者が所有するシステムは、労働者が自分の関与している事柄を決定するときに発言権を持つようにできる。理想的には、一人一人が、農場・店舗・職場といった形、あるいは工場その他の協同的な場所の担当部分における生産手段の経済単位の所有者となるのがよい。ここには現実的な産業民主主義がある。5年ごとに投票用紙に記入することは、民主主義の戯画にすぎない――最近はっきりと見られるようになった政党機構が支配する方法として。

3000万人というあまりにも多くの貧困と飢餓を伴うアメリカ合衆国の西側資本主義も、自由と人権を否定する東側ソヴィエト国家資本主義(あるいはその変形)も、アイルランド国民に「アイルランドの所有」(1916年独立宣言)を与えてくれはしない。コワル・ナ・ゴワーサンは、ブレホン法の時代にさかのぼるアイルランド固有の伝統に基づき、生産手段の共同的――国家的ではない――所有権を考慮に入れた供給に基づいている。それは、自由と人による人の搾取という両極端の間のバランスをとる。それは合衆国や、あるいは充分発展したEECが一方の極端であり、もう一方は個人の自由に対するあまりにも厳しい締め付けである。これこそ、西洋の放任社会の「底なしの壺」と東欧ブロックの「強制収容所」を避けたいととかつて述べたある著名な牧師が模索していた中間の方法への扁桃であろうと信ずるものである。

しかし、民間企業はコワル・ナ・ゴワーサンにおいてもやはり一つの役割を果たすが、最近公的な意味を持つようになったセメント製造のような基幹産業においてではない。国家が推奨するのは、もちろん、最も社会的に望ましいものとしての共同運営事業を好むことであろう。

アイルランド語と伝統は、経済的な目的と結びつけられ、イスラエル、フィンランド、あるいはデンマークでも実施された全面的な緊急事態型国家努力における「やる気を高める要因」として利用されるであろう。ここで一点指摘しておくのがよいだろう。共同作業員にとって有益ないくつかの学課は、海外資本家の活動を抑制し、国家財産から買おうとしたイスラエル、デンマーク、ユーゴスラヴィアの経験から学ぶことができよう。そして、わたしたちは(アメリカから)「カナダを買い戻せ」というキャンペーンを最近聞いたのではなかっただろうか?

ここで概説された政策では、海外にあるわたしたちの財産と、アイルランドにおける貯金の再投資を取り戻すことについては短期間で成し遂げるのはむずかしいということは否定しない。しかし、英国帝国主義との数世紀にもわたる闘いが最終的に成功した結果として国民の高い士気や新しく導かれる活力は、理想的な機会を与えることだろう。いかなる出来事があったとしても、わたしたちの眼前に展開するかのようにEECがいう「約束の地」などのためではなく、これらの価値ある目標のためになされた犠牲のほうがずっとよいものであり、国益にもなるということは確かである。

わたしたちは、わが国の貿易を多様化する必要がある。また、新しい貿易相手を、ヨーロッパの中立国や東欧の中で、陣営に属さない「第三世界」に求めなければならない。アフリカの人々を支援するために旅立った宣教師・医療関係者・教師たちの世代は、親善という名の巨大な発電所をわたしたちのために建ててくれたのだ。貿易を発展させるための全面的な努力は、国連の活発な独立外交方針を手を携えて進めることになるだろう。

漁業権については、豊かな河、湖、入り江が、今なお古い領主の子孫の支配下にある。このような内陸の水域や入り江は国営化されなければならないが、経営・管理は地元の共同会社によってなされるべきである。征服を無効化することは、河川領主の没収も伴う。理想家であるだけでなく、現実主義者であったピアースの声を聞け。

アイルランドが自由となるときにアイルランドの領主たるべき者について、誤解してはならない。国民が領主であり主人である――自由なアイルランドには、肥沃な谷での飢餓や都市が不潔であるようなことはないだろうし、あってはならない。

新聞紙、印刷物、旗の自由は、国家の目的ではなかった。

ハンガー・ストライキですぐに亡くなったトーマス・アッシュ(Thomas Ashes)は、1917年の詩でこう書いている。

神よ、アイルランドのために、あなたの十字架を運ばせてください

その金色の平原の空き家のために、その未来の希望のためにも。

最後に、コワル・ナ・ゴワーサンの檄文を引用しよう。

アダム以来すべての人は、土地と、その労働の成果を与えられる権利を有していた……

力またはペテンによって、すべての世代の大多数からその権利が奪われた……

アイルランドにおいて、そして全世界において、今日、人類の大多数は土地の果実を分け与えられる権利をまったく持っていない。

わたしたちは国の所有権を主張するものではない。そこには独裁が待っている。すべての人は、自由に所有者でなければならない。

国家の強さは、中央政府を必要とする。個人の自由は管理が分散されることを必要とする。すべての産業が国民によって所有され、中央政府がその活動を調整するという二つのことを必要とする健全な国家こそ、その解決策である。

これを遂行するために、アイルランド国民は、ピアースの熱中、コノリーの献身、ミッチェルの怒り、エメットの英雄心、そしてトーンの確信を心に抱いていなければならない。

彼らを鼓舞し、導くことは、わたしたちの前にある責務である。

 

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