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序
1.1 アイルランド国民は、政治と社会管理のための極めて効果的な政策を公式化することについて、国家的才能を示してきた。このことは、たとえばブレホン法に見ることができる。これは8世紀から16世紀にかけてアイルランドで施行され、さらにアイルランド移民によって合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、ビルマ、アフリカ諸国の憲法と政策に劇的な影響を与えたのである。
アイルランド人の独創的な政治的才能は海外で花開いた。不幸にも、アイルランドではそうはいえない。特に1922年からの時期は。
分割されたアイルランド
1.2 20世紀最後の数十年間、アイルランドは分割国家である。アイルランドの総人口の約3分の1にあたる6州が英国管理下にあり、アイルランドにおける英国の力は重装備の占領軍によって維持されている。アイルランドの人口は現在減少しつつある。アイルランド労働人口の20%もが失業している。アイルランド国民の30%が西欧基準によって決められた貧困ライン以下の生活を送っている。そして若者を中心とした移住者のために、毎年約5000人の割合で最も優秀なアイルランド人が流出している。アイルランド公的サービス――健康、教育、社会福祉――は低下した。蔓延する状況に対する幻滅と欲求不満は、特に都市エリアの若者のあいだで、いくつかの分野で社会秩序をほとんど破壊させることになった。
これらの問題は、アイルランドの同一性とアイルランド語を周到に格下げすることによる文化的剥奪政策によって生み出されたものだ。アイルランドの若者が知っている唯一の文化といえば商業化されたアングロ・アメリカのポップ・カルチャーであり、彼らはアイルランドが自由のために戦ってきた長い歴史についての真実にふれないようにされている。長年にわたって、26州の人々は英国民よりも多く、6州の国境を維持するための費用を支払わされているのである。それでも、北で続く英国駐留と南が受けている英国の影響は、悲劇と、あきれるほどの資源の浪費をもたらすだけだった。
分断国家
1.3 アイルランドで今日見られる政治体制は、この島をを二つの分断国家に恣意的に分割するよう、1921年に英国が課した決定から生まれたものである。1921年以前、何世紀もの英国支配のあいだ、アイルランドは統一政体として統治されてきた。それから、英国に支配されたユニオニストの6州国家の創設があった――アイルランド国民の大多数の意志に反して、1922年にこの国に強制されたのだ。その4年前、1918年、最後の全アイルランド選挙で、アイルランド国民の圧倒的多数が、アイルランドの政治的統一と独立に投票していた。
北東部のとりでから、少数派ユニオニストは約70年にわたって、アイルランド国民の圧倒的大多数の政治的意志を徹底的に踏みにじってきた。この反民主主義的派閥は、ウェストミンスター政府の後援により、北東部で力を保たれている。1985年のヒルズバラ協定で、少数派の拒否はダブリン政府によっても保証された。アイルランドの32州の主権を冒涜して。
失敗した配置
1.4 分断配置の失敗を証明するのは、70年以上にわたる北部での「ナショナリストの悪夢」――占領、抑圧、思想統制、経済不況、移民――、そして1972年英国政府の6州ストーモント議会廃止である。さらに、1973年サニングデール協定や1985年ヒルズバラ協定が分断の失敗を強調した。現在の政策である直接英国支配――英国軍、王室アルスター警官隊(Royal
Ulster Constabulary, RUC)という武装準軍事警察によって実施されている――は、6州における武力抵抗、政治的不安定、経済低開発を引き続き行なうことを保証している。
国の北東から分断された26州では、政治家が「召使い」体制を遂行している。官公庁が運営・維持されるのは、国民の忠誠を買うことによってである。それは「相談所」としてのそのような機関の操作を通して行なわれ、そこで政治家は投票と親切行為を取り引きする。巨額な資金がこの体制を永続させるために借りられており、そのために26州の状態を破産の縁に追いやっている。アイルランドはいまなお世界でも最大級の負債を抱えている国なのである。
アイルランド国民には、これよりもっとよい政府がふさわしい。
経済的結果
1.5 アイルランド分断は、北と南の乏しい資源を浪費することになった。エネルギー、教育、健康、工業といった分野で、統合された長期的資本投下がまったくなかったのである。支出ばかりが大きくふくらんでいた。英国が強制した国境線に沿ってアイルランドの分断された地域の影響は、特に有害なものであった。
わが国の規模と経済状況にはふさわしくない英国の政治経済管理体制が、分断以来、北と南で奴隷的に続いてきた。ヨーロッパの他の小国は、なかにはアイルランドより天然資源が少ないところもあるが、現在、特に第2次大戦後、大きな経済的成長を遂げており、その国民の高い生活水準を達成してきた。アイルランド人が経験してきた失業・貧困・移住は、スウェーデン、スイス、フィンランドでは決して受け入れられないだろうし、ここでも受け入れるべきではないのだ。
EU参加
1.6 両国家がいわゆる「欧州連合」の完全な一員として導かれたとき、わたしたちの問題はさらに大きくなった。このようなものに加わることは――アイルランドが数世紀にわたって英国の植民地であった結果として――経済発展の初期段階にある国にとってふさわしくない。無制限自由貿易の環境にあって低成長から完全成長に自国を引っ張り上げるような現代国家はどこにもない――それは、外国占領が続いたことによってアイルランドに強いられた状況なのである。
1800年の合同法のもと、アイルランドは人口の半分を失い、恐ろしい貧困と発展の阻害を被った。20世紀はじめ、アイルランドは英国との絆を完全に断ちきろうとした。しかし、分断配置のもと、英国権力の有害な影響が70年近くも続いてきた。この影響は、EUの新植民地的枠組みのなかで続いているのである。
1972年、わたしたちが「ヨーロッパでの市場と自国での仕事」を約束されたときから、重厚な銀行支援を受けたヨーロッパ多国籍企業との競争に耐えるようにはできていなかった国産の製造工業は閉鎖されていった。その結果、EU参加期間中に当地にて失業と移住が急上昇したのである。アイルランドでは、EUの農業政策によって7万人の人が国を離れる結果となった。
植民地化と搾取の歴史を持つこの国は、第3世界のかつてのヨーロッパ植民地と共通点が多い。EUが差し伸べている手も、アイルランド人労働者に仕事を与え、アイルランドの資源によるアイルランドの発展に基づいて着実に自国経済を繁栄させるようにしてくれる、といったものでは決してない。ヨーロッパで成功している小国を見れば、国益のために、EUに参加せず、EU準構成国の立場またはEUとの好意的貿易協約を結ぶことを多数派が認めていることがわかる。
新しい始まり
1.7 以下の提案は、アイルランドの弱体化・荒廃した状態を治療し、段階的にこの国に充分な健康をもたらすための方法を示したものである。これらの提案は、分断支配という失敗した非民主主義的体制を廃止すること、これにかわって、平等・機会均等の自由な市民としての権利とともに、アイルランド国民の統一・独立に基づいた民主主義体制とすることをめざす。武装対立と政治的紛争――そして、生活の適切かつ改善された水準を与えるための操作において現在失敗が明白となっている英国型体制――の数十年を経て、すべてのアイルランド国民はともに、新しい建設的な方法のために働く義務があるのだ。私たちの国家は、全体として、それぞれ価値ある積極的な貢献を社会に及ぼすことができる多様な伝統によって構成されている。
21世紀前夜、アイルランド国民が、確かに有している創造的才能を、また、わがアイルランド国家の求めに応じて海外でよく示された政治的才能を、発揮する最後の時である。
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