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IRELAND 共和主義シン・フェイン党 UnOfficial
 

SAOL NUA(スィール・ヌア) -- A new way of life

基礎的な価値
長期政策
必須の要素
国家は共同体の共同体である
現実的で正常な選択肢
今すぐできるプログラム
 


Eire Nua(エーレ・ヌア)――新民主主義 は、4つの地方議会があり、最大限の地方分権民主主義を提供する新しい連邦制アイルランドのためのシン・フェイン・ポブラハタハ(共和主義シン・フェイン党)プログラムのタイトルである。

この構造は、英国による「アイルランド問題の解決」の一部として1922年にアイルランドに作られた二つの国家に代わるものである。エーレ・ヌアは、アイルランドの市民すべてが新しい本物の民主主義に参加できるであろうと保証する。

自由アイルランドの新しい構造は、それ自体が社会的・経済的秩序をもたらすものではなく、すべてのアイルランド国民の社会的・文化的・経済的解放を導くような進歩的な政策を導入できるようにするものである。

アイルランドにおける分断政府の結果を現実的に評価すれば、どう考えてもこの配置は失敗であったということになる。6州国家の失敗のほうが、明らかに、そして確かに広く、知られているだろう。だが、26州固化もまた失敗したのだ。少なくとも、全国民にきちんとした快適な生活を与えることに失敗したということが明白である。

1800年の合同法のもとでアイルランド人口を激減させた植民地的資本主義体制は、いまだにアイルランドで機能している。1922年以降、ここで生まれた人のうち二人に一人が移住せざるをえなかった。残ったうちの3分の1は、西ヨーロッパ標準の定義によれば、受け入れることのできない貧困状態で生きている。

最近では、26州の労働人口の20%と、6州の15%が失業登録している。貧富の格差は広がり続け、この阻害と格下げの社会的結果は、明らかに存在し、広範囲に及んでいる。

1973年からのEC加入は、多国籍資本主義の力を加速することになり、アイルランドをこのような弱体状況に据え置き続けた。ECのために提案された新しい政治連合は、アイルランド国民が自分自身の仕事を扱うことをさらに少なくするという結果に終わるであろう。そして、わたしたちは巨大産業と多国籍企業の利益に奉仕する経済計画者たちによって、単なる「地域」として扱われることになるだろう。

東欧のソヴィエト体制の崩壊は、資本主義や市場経済の勝利を示すとはいいきれない。どちらの体制も集中化・非個人的・非エコロジー的・非倫理的なものである。彼らは、何百万人もの人々を依存させることによって無能化し、地球とその資源を破壊してきた。富裕な国の高度消費、高度汚染の生活形態は、貧しい国々の利用に基づいたものであり、いまや絶望的に支えられなくなっている。

規制のない多国籍資本主義は、真実の民主主義の否定である。いかなる民主主義的統制からも逃れている。略奪して人間性を失わせるものである。人々の多数派の利益に役立つものではない。終わることのない経済「成長」の追求は、EC内部のようにますます集中化して非民主主義的なものとなっていったが、これは完全に新しく分権化した人道的体制に置き換えられなければならない。

シン・フェイン・ポブラハタハの見方では、従来の経済は持続できない方法であり、これは社会的・環境的・倫理的・精神的価値に従属すべきであると考える。

わたしたちは、投資の権益や利潤の最大化よりも人間と人間の発展を重視する新しい経済体制を必要としている。いま、人々と社会正義にとっての真実の長期的利益を促進するために、大きな変化が必要となっている。わたしたちの望むアイルランドの新しいヴィジョンを作り上げ、それに従って計画を立て、国民に方向と目的の意味を伝える必要がある。

ここで、アイルランド愛国者ジェームズ・コノリーの予言的な言葉を思い出すのがよさそうだ。
「もし将来において英国軍を排除し、ダブリン城に緑の旗を掲げたとしても、社会主義的共和主義の組織を作らない限り、その努力は無駄になる。
「イングランドは、その資本家を通して、領主を通して、資金提供者を通して、商業主義・個人主義的機関の全隊列を通して、あなたを支配し続けるだろう。イングランドがこの国に植え付けたこれらのものは、わたしたちの母の涙と、わが殉教者の地に染まってきたのだ。
「イングランドはあなたを滅ぼすためになおも支配する。あなたがその理想を裏切ったあの自由の神殿で、連中に偽善的な忠誠を誓う言葉を吐いている間すら」

ジェームズ・コノリーとパートリック・ピアースはなくなったが、彼らが変えようと求めた体制はいままさに存在し続けている。この体制は、1916年以来、200万人のアイルランド人に移住を強いてきたのだ。

この文書の中で、シン・フェイン・ポブラハタハは、社会的・経済的計画の原則的要素の概略を探求する。わたしたちは、現在のシステムが続くならば、それが分断配置に基づくものであれ、統一形態であれ、ECに参加するしないにかかわらず、自由・平等・博愛および各共同体と各個人の幸福を提供するような人的・社会的・経済的発展をもたらすことはありえない、という確固たる信念を持っている。

数世紀の植民地主義と、数十年間の多くの移住と失業は、アイルランドにおける敗北主義の心理を引き起こした。これらの問題が必然的なものであると受け入れるなら、わたしたちの国家的達成の基準を引き下げることになる。ECへの接近統合を主張する政治家たちは、この体制を単に自分たち自身の不適当な行為と失敗からの言い逃れの手段とみなしているのだ。

新規に、人間の一連の価値に基づき、またこれらの価値を促進するようになっている政策に基づいた何かが必要だ。これらの価値と政策は以下に概略されており、アイルランドにおける新しい社会――スィール・ヌア(Saol Nua)への道を指し示している。

 

 

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基礎的な価値

  • 人々に関して、その福利、福祉、幸福、そして国の子供たちすべてを等しく大切にしたいという要望。人はすべて各自固有の人間としての尊厳を尊重される権利を与えられており、市民すべてが貧困の不安からの自由を享受して公正で適切な国家財産の分配にあずかることができるべきである。市民はすべて法の下に平等であり、すべての人が自分自身の福利のため、社会の福利のための労働に貢献する義務と権利を有している。

    わたしたちは、人種・肌の色、宗教・民族・国籍・性的嗜好・性別を問わず、すべての市民に平等を保証する。

  • アイルランド内における宗教多元主義の重要性の認識、国内の異なった伝統の尊重、表現・宗教・哲学的意見の自由の保障。わたしたちは教会と国家の完全な分離を完成することに全力を尽くす。
  • 人間の尊厳は、社会正義の基礎として、個人・家族・共同体における自身を強めることが必要であるという認識。これは、あまりにも多くの人々が国家、雇用主、金融操作者に依存してきた範囲を狭めることになる。
  • 自分自身の人生をもっと自分の思うがままにするため、人々の潜在能力を開発するような社会的・経済的体制に対する信頼。国民は、自分自身に影響する決定を具体化する権利を持っている。経済と技術のどちらも価値解放と見なすべきではないが、それを使って人々がさらに生産性を高め、満足し満ち足りた生活を導く役に立てることはできる。物質的「必要」あるいは望みを強調しすぎることは、多くの社会問題、貪欲、買収を引き起こしてきた。
  • 完全参加民主主義が、代表民主主義の不十分で乱用された体制に取って代わるべきであるという信念。この民主主義は、経済民主主義を含む。地元の労働者・制作者が所有している協同組合と共同体企業が促進され、発展される。地元の経済的自主性と自給自足が促進され、国民は自分自身を組織し、大都市や政治家への依存なく自分自身の仕事を進めるよう、後援される。
  • 自由・平等・博愛をすべての市民に与える共同体の共同体として組織された国家の要望、そして質的価値と倫理的選択を含むような経済的生活と思考へのアプローチ。
  • 地球の資源のほとんどは有限であり、無駄なく持続可能な方法で使わなければいけないという理解。これは、浪費と汚染を避けるべきであり、環境を守り、資源は未来の世代を含むすべての人が活用できるようにしなければならない、という意味である。
  • 文化的・国家的統一性の価値と、アイルランドの独自性の明確な中心としてアイルランド語を保存・促進・発展させる必要性への確信。これは、現在、英国と合衆国に文化的に依存している状況を変えることだろう。
  • すべての子供と、成人継続教育に対する教育の包括的なシステム、の必要性の実現。国民の生活の質は、その教育に大きく依存している。それは、若者は子供の中心たるべく、大人は共同体の中心たるべきだからである。それは理論的教育と技術的教育の適切なバランスを取り、教育システム内での女性の平等には常に注意すべきである。
  • 民族自決の必要性に対して、またこの独立を達成し維持するために努力する権利に対しての固い信念。民主主義は地元と国家のレベルでの有効な方法において最もよく機能する。国家的共同体内には、少数派が自由に多数派の支配に同意することを説得する人々のなかで、利益についての充分な団結、相互識別、相互関係が存在している。こうして、共有された公民権、共通な政府への忠誠、政府の税金と収入をシステム変更に投資することへの歓迎が存在する。国家内部に存在する団結は、国家間には存在しない。多国家連邦は不安定で人工的、抑圧的な存在である。ソ連やユーゴスラヴィアのようなこの種の連邦は、最近分裂し、多くの民族国家が存在するようになった。超国家的な首都から民族国家を守るために働くことこそ、すべての民主主義者・社会主義者に必要なことである。

    1916年宣言、1919年召集の第1回ドーイル・エーランにおける共和主義的・民主主義的目標と原則は、すべてのアイルランド国民に正義に基づいた恒久平和をもたらすための努力に対して、鼓舞し、指導するものである。

  • わたしたちすべてが人類として、国家の大いなる家族の一員として共通の同一性を持っているという意識。わたしたちは、さらに広い世界的共同体のなかで、平等に基づき、他者の権利を尊重する国際主義者としての役割を果たすことを望む。特に、第3世界の人々を貧しくする国際貿易と国際的負債のたぐいを亡くすことを望む。わたしたちは軍事同盟・勢力ブロックに対しては中立の立場を主張する。わたしたちは、自由と正義のために闘うすべての人々と団結していると感じている。
  • 真実、誠実、正義こそ、わたしたちのすべての努力の品質証明となるべきだ。

 

 

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長期政策

国民が第一に来ること、すべての社会的・経済的政策は国民の利益に役立つべきであるということが、シン・フェイン・ポブラハタハの根本的信念である。現在のアイルランドで、巨大な財産が少数の選ばれた階級の人々、特に政治家階級(多大な経費や年金などによる)、銀行家、ビジネスマン、特別な開発者、メディア・グループによって享受されていることはご存じのとおり。この「国家階級」は、アイルランドと多国籍双方の資本を導き、操作し、扱いやすくする国際的一団の一部である。彼らの利益は、ふつうの人々の利益をはるかにしのぐ。

その一方で、地方経済は崩壊しつつある。町と州では失業者の数が上昇しており、これは重大な社会問題と、数千人の個人・家族の惨めさを次々と生み出している。大規模な移住は、この国家的醜聞について政治家が関心をそらすための安全弁となっている。

働くのは、人間にとって自然なことだ。自分の才能を有意義に、満足のいくように、生産的な仕事で活用する権利をすべての人が与えられている。わが人的資源に対して支払われているのは、リップ・サービスだ。膨大な数の人々が何もしない以上に不経済なことがあるだろうか?

怠けている人から生み出される者は皆無である。また、役に立たないと感じるがために、自分自身の世話をする機会を奪われた人々の自尊心には重大な損害がある。

すべての人の福利と福祉を生み出す方法で社会を組織することは、人々の巧みさ以上に確かなものはない。仕事の機会を供給することは、いかなる根本的な計画についても根本的な目的であるべきだ。このような計画の一つの基礎は、重点を明らかに移動させるべきだということだ。適切な場所に物質的なものをそろえるというライフスタイルを発展させる必要があるが、これは二次的なものであって、主要なものではない。このようなライフスタイルは、人間性の現実の必要に対する最初の場所を与え、わたしたちのまわりの生物や地上の有限な資源と互換可能なのである。

「持てる人」が「持たざる人」よりも大きな問題であるのももっともだ。貪欲な消費社会のライフスタイルにおいては、彼らは物質的「対象」が次から次へと代わっていく。ビデオ・レコーダー、2台目の車、第2の休日、ヨット、などなど。その一方で、売るものもなく労働が最も弱い立場に置かれている人々は、長期的な失業を宣告されて、社会の周縁に追いやられてしまう。犯罪率の上昇は、この国家的醜聞の結果として生まれた避けがたい社会問題の一つなのである。

この体制を動かしている人々は、質的ではなく量的な経済成功の目安を考案した。これは、アイルランドがいかに経済「成長」し、同時に失業者も増えたのかを説明するものである。これは注でこのように述べている……1990年の国連開発計画レポートでは「経済成長と人類の進歩の間の関連は機械的なものではない」と結論づけている、と。

エーレ・ヌアでわたしたちは、アイルランド政府の分断体制を運営している者たちが変化をもたらすことはほとんどありえないし、彼ら自身がいまや問題の一部となっている、と述べた。これに加えて、社会的・経済的状況のなかで、政治・金融・管理・経営において経歴と生き残りを追求する人々は、今日の権力構造の囚人となっており、彼らの操作している体制が失敗であったという現実を正視する勇気をほとんど持っていないであろう、ということをここで付言しておきたい。

根本的なアプローチと他の市民の独立精神を一貫して主張してきたシン・フェイン・ポブラハタハのみが、自由に選択肢を提案・推進することができる。

わたしたちが資本家体制について述べた批判の多くは、他国でも当てはまる。しかし、アイルランドにいるわたしたちは、資本家植民地主義の長らくさられてきたという経験のため、特に厳しい方法で苦しめられてきた。EUの技術家政治主義者にさらなる力を与える方法によるいっそうの「固定」は、ロンドンへの依存からブリュッセルへの依存への変化をもたらすだけで、問題の解決にはならないだろう。それどころか、わたしたちの今日の悲惨な状況をもたらした力は加速するであろう。まったく異なった価値観と標準に基づいた、新しい根本的アプローチが必要なのである。

わたしたちは、他の国々にも重要な不安があることに気づいていない。先進国・途上国双方で、特に資源のひどい浪費、環境汚染、化学農法、高度技術化の結果の人間性喪失が起こっている。多くの人々が、人類と惑星の存続そのものが危険にさらされていることに気づきつつある。

シン・フェイン・ポブラハタハの綱領は、わたしたちが連邦民主社会主義共和国をアイルランドに作ろうとしていると宣言している。エーレ・ヌアで概説された民主的構造は、すべての市民が生産の経済的担当を担うことができることを求めた社会・経済体制によって補完される。小さく、明確で、理解可能なグループのみにおいて、人々は自分自身であることができ、自信・威厳・実現を達成することができる。アイルランドのComhar na gComharsanは、それぞれの労働者が生産手段を所有することによる地元または共同体の発展の一例である。

 

 

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必須の要素

シン・フェイン・ポブラハタハは、以下のようなものが、わたしたちの提案する民主社会主義体制の必須の要素であると考えている。
  • 未解決の国家的問題は、アイルランドにおいて公正な平和を達成するための障害をなしている現在進行形の傷である。この問題は、至急の問題として立ち向かい、解決しなければならないものである。エーレ・ヌア――新民主主義平和なアイルランドに向けてを参照のこと。
  • 財政、銀行、すべての基幹産業が、公的、民主主義的、あるいは社会的管理下に置かれなければならない。そして、信用組合のような地元の銀行の業務範囲・対象は、地元の人々の需要に応じて拡張されるべきである。資本の社会的管理は必須である。それは、人々が資本の奴隷となるのではなく、資本が人々の役に立つことを保証するため、さらに広い資本所有を達成するため、バランスのとれた発展と富の公平な分配を促進するためである。金は商品としてではなく、すべてのひとが関わる一つの計算システムとして考慮されなければならない。
  • 「国債」として知られる巨大な政治家の「借金」は、連続する「苦境」に投資し、選挙民を彼らのもとにつなぎ止めておくために政治家によって蓄積されたのである。当座の貸し越しで生きるために巨大な合計額を借りることは、一つの売国的行為であった。シン・フェイン・ポブラハタハは、アイルランド国民がこの借金を事実上帳消しにされるべきだとは考えない。アイルランド国民の首にまとわりつくこの重荷を帳消しにするためには、重大な考慮が払われるべきである。最小限、支払猶予は宣言されるべきであり、借金は再利用されるべきである。
  • アイルランドは、多くの天然資源、土地、漁場、鉱物、風土などを有している国である。これらは、持続可能で汚染のない方法で開発されなければならない。経済発展は、動機・ノウハウ・資本・販路・市場を必要とする。

    おいしい天然の食物を国内と海外市場が求めている。アイルランドは、これに都合のいい理想的な位置にあり、私有農場と協同組合の双方において、特に有機農業に関して、生産・加工・分配において作り出される多くの新しい仕事をともなうこのような開発に基づいて、まるで新しい農地改革を行なうことができるだろう。

  • わたしたちの基本的な価値の一つは、国民自身が互いに世話をでき、自分に頼るようにすることであり、また社会ができるかぎり自給自足できるようにすることであるため、シン・フェイン・ポブラハタハはアイルランドの需要にきちんと合うように、仲介的技術に対するかなりの額の投資を計画している。現代の高度技術は、生産と消費の効率的なシステムに仕えるものであって、このシステムにおいては労働者は生産の単なる一要素にすぎない。さらに、高度技術は一般的に資本集中的・エネルギー集中的であり、都市の渋滞と汚染を加え、ゴミを最大限に増やす。それは仕事から人間性を失わせ、大規模なものへの依存を生み出し、人々を遠ざける。これは国民の経済的・社会的環境に影響するための力を弱めるからである。実際、この技術はますます人を必要としない生産を達成しようとしている。

    高度技術企業の多くは、不在地主の現代的同類である多国籍企業である。現代の不在状態は、遠隔地の会議室から命令される。アイルランド国内にある高度輸出多国籍企業は、本質的に新植民地である。彼らは経済の他の分野と融合せず、80%もの利益を海外に送ってしまう。

    人々が自分自身の仕事を管理し、資源を保存し、環境を守ることができるような代替構造、代替技術が必要である。このような代替物は、人々が必要とする創造性と普通に結びつくことができ、互換できるものとなるために、一般的に規模は中小のものであり、再編成され、比較的安価なものである。その社会的利益はかなりのものである。地元の小規模会社もまた、集中された自動化工業よりも多くの仕事を提供することになるだろう。

    このような方向を持った変化を主張しているのは、わたしたちだけではない。ヨーロッパでも、もっと遠く離れたところでも、多くの思想家が、これこそ田舎の退廃と増大する失業を反転させるために必要な必須のステップであると結論づけるようになってきている。

    これは前世紀や1930年代への回帰ではなく、合衆国やカナダの共同体を含む他国ですでに成功を成し遂げた現実的な技術開発のための方針である。現代のパソコンは、小規模生産事業のための高度で安価な装置の一例である。同様の素材は、食物生産・加工、織物、広範囲の保守作業、その他多くの分野で利用可能である。

    産業革命は、工場と町において、家庭内の作業をなくした。仲介的・代替的技術はそれを元に戻し、人々に威厳を取り戻させる。

    わたしたちが提案する経済的・社会的開発モデルは、アイルランドの各地区、地域、地方ができるかぎり自給自足できるようにするものである。田舎、町、村、市の共同体は再活性化され、それぞれのエリアは産業・サービスの自前のネットワークを持つことになる。

  • 経済成功についての新しい基準を決めることが必要であろう。「経済成長」「GNP」「生活水準」は、いまや経済的福祉の指標としては不十分になっているからだ。それはたとえば、ボランティア労働者、家庭内での仕事をするよう選んでいる数千の主婦や男女、非公式に国内・地域団体部門を通して経済に対して現実的に寄与しているすべての人々の貢献を無視しているからである。人間的な必要性にとって有効な指標、たとえば「生活の質」といったものが必要だ。
  • 失業者や、家庭内で働いている男女を含むすべての人が支払われるように、基本的最小限度の収入がすべての成人市民に保証される「所得政策」がなければならない。
  • 税金は進歩的・再分配的であるべきだ。また、富・遺産・ゴミ・汚染には課税されるべきである。また、特にエネルギーという不十分な資源については効率的な使用・公平な分配・保存を促進すべきである。田舎だけでなく都市でも、地税は、効率的な土地利用を促進し、さらに多くの人々が土地を所有することを容易にし、多くの人が家の所有権に手が届くようになり、富の再分配の助けとなり、都市の遊休地の急速な開発を促進することになるであろう。

    一般的に、労働者への課税から土地・資本への課税へと移行すべきであるし、有益な仕事によって経済に貢献している人々への課税から、資源、特に乏しいエネルギー資源を使うことによってそれを減らしている人々への課税に移行すべきである。

  • 広範囲の国家公共医療サービスはすべての市民に提供され、それとともに健康的ライフスタイル教育を強調されるようになる。長いキャンセル待ちリストのある現在の2階層の公共サービスは、威厳と公正への侮辱である。経済を可能にし、保存することは、人々を社会的・環境的な危険やストレス、たとえば失業や汚染などから解放することになる。わたしたちは、貧困と不正を取り除き、働くために適切な食物・住居・教育・健康的環境をすべての人が持てるように努力しよう。家族計画と出産施設の広範囲のシステムに無条件に接することができるようにしよう。
  • 保育については、両親と、社会全体の責任との双方で等しい責任を分担しなければならない。両親は、片親であろうとなかろうと、家庭内・家庭外で保育所がないがために職業選択が狭められるようなことがあってはならない。常勤の保育センターと託児所を提供するのは、国の責任であろう。
  • シン・フェイン・ポブラハタハが設立する教育システムは、全人格と能力・才能の開発を提供し、人々が自尊心と自己達成のために必要なものを満たすことができるようにし、自分自身の人生を管理して共益に貢献する能力を開発するものである。わたしたちは、理論的教育と技術的教育の双方の質を高め、男女双方が等しくカリキュラムに表現されることを目指す。わたしたちは、教育システムを教会その他の単一の管理のもとにおくことも許さない。

    数世紀にわたる植民地主義ののち、わたしたちが直面している知的挑戦は巨大であり、教育システムこそすべての市民が問題を体系だち熟練した方法で認識・思索・分析・解決する円熟した能力を開発する助けとなるだろう。

    倫理的責任感を発達させ、社会的倫理学を促進するプログラムが、すべての子供のためのカリキュラムに含まれる。

    また、男女の平等を促進するカリキュラムもプログラムに含まれ、子供も大人も男性至上主義と画一化と闘うことになる。継続教育が国の全土で成人のために利用可能となる。

  • 国家公共奉仕(兵役)または共同体奉仕のシステムが、教育システムの延長として開設される。このサービスの目的は、すべての若者が個人的・社会的・共同体的同一性の感覚を発展させ、市民にとって有益で責任を持つ人になるためである。

    この奉仕は12か月の期間で、2、3の部分に分れる。これは地元、地方、国家レベルでの仕事がある。それはさまざまな種類の共同体奉仕、あるいは2、3のさまざまな要素の結合でもよい。若者は21サイまでにこれらの奉仕を完遂することが義務とされる。

    どの例においても、アイルランドの若者は、わたしたちの社会を改善することに貢献する有能な仕事をすることになるだろうし、独立した責任ある成人生活のための準備の一部として、そこから個人的な満足と成長を得ることにもなるだろう。

  • 特に、女性の権利を法的表現として明記する政策を決定し、伝統的な女性に対する否定的な態度を変えることによって、わたしたちは男女の機会均等をうち立てる。資本社会を支持する価値観と前提は、男性優位、唯物論的、agressiveである。女性とその価値はあまりにも長い間、依存的な文化の一部として周縁に追いやられてきた。わたしたちの社会観は違っている。

    女性と、貢献できるすべての人々は、社会の意志決定の主流に入るべきである。アイルランドの生活の全体における女性の平等を確保し、社会全体がここから大きな利益を得るためには、積極的な活動が必要である。

  • 公共輸送の包括的なネットワークは、アイルランドの全域で作られる。すでに増大している交通量のためというよりも、仕事、家庭、店、学校、病院に行きやすいように重点が置かれる。ネットワークは、費用とエネルギーを省力化するという価値に基づいて、人々が快適な移動できるのにふさわしい交通量を提供することを模索する。

    できるだけ多くの貨物が鉄道で運ばれることになる。地方の自給自足と仲介的技術の開発を促進することは、多くの商品の消費者価格を上げている輸送価格を抑えるであろう。

  • 健康な社会であれば、自分自身の独自性の本質を自分のものでないというようなことはないと信じる。シン・フェイン・ポブラハタハは、それゆえ、わたしたちに固有のアイルランドの独自性の発展と再活性化をはかる。特に、この独自性の中心であるアイルランド語において。そこで執行部は語学教育法を改善したが、アイルランド語がアイルランド国民の多数派の日常の言語となることを達成し、保証するためには、アイルランドの全ラジオ・テレビ放送が必要不可欠である。
  • 独立外交政策と、軍事ブロックと軍事同盟についての中立政策が維持される。適切で公正な貿易関係は、ECその他の全世界の国々との間で、相互利益に基づいて確立される。

 

 

国家は共同体の共同体である

アイルランドにおける新型の社会についてのわたしたちのヴィジョンは、わたしたちを中心的なヨーロッパ権力中枢の集合的利益に従属させるEUの政策の全体的推進力とは、明らかに異なっている。さまざまな国での緑の党の最近の成功といくつかのEUの環境法を除けば、ますます集中化して巨大な資源を消費し続けている従来の多国籍資本主義は、EUとその政策の基礎となっている。

わたしたちの基礎的価値に沿ってアイルランドを開発するため、最終的にEUへの完全参加ではない新しい立場を模索することが必要になるだろう、という決定は避けがたいものである。それだけでなく、わたしたちは、開発途上国に対する貿易条件の締め付けには合意しない。それは、支配に基づいたものであり、依存状態を作り出すことになる。

人類のそれぞれの世代は、順番に、地球の管理を担当すると考えられる。人類という家族は地球を保護・保存・育成し、後世に備える方法で生活する義務がある。すべての国家と国民の権利を認識した、新しい、持続可能な、地球に優しい経済を構成するための国際的提案を、シン・フェイン・ポブラハタハは歓迎する。ヨーロッパ内で植民地主義を経験した国家として、アイルランドはこの事業に特別な貢献ができると思う。

わたしたちの民主社会主義的観点は、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、その他の全世界的期間の役目に疑問を呈する。豊かな高度消費・高度汚染を行なう7か国、すなわちG7傘下のアメリカ合衆国、フランス、英国、イタリア、日本、ドイツ、カナダは、わたしたちの世界開発と貿易にあまりにも大きな影響を持っている。彼らの行なっている経済は、数百万人の人々を貧困に追いやり、この惑星上の生命を消滅させるおそれすらある。「経済(economics)」という言葉はギリシア語に由来しており、もともとの意味は「家庭を経営する」であった。全人類の家庭が、民主主義と持続可能な破壊のない開発に基づいて、公平な方法で経営されるべき時がきたのである。

わたしたちがうち立てようとしている民主社会においては、政治的・経済的生活のどちらの構造も決定的に重要なものとなる。提案された政治的構造は、エーレ・ヌアで概説されており、それは補助の原則に基づいたものである。国家は共同体の共同体であり、それぞれの地元の共同体は自立のための手段を有し、人々はその決定を知らされ、関与する。これが進歩の必要条件となる決意を生み出すのである。

わたしたちは、私有財産を廃止するつもりはない。しかし、「すべての私財産権有は、公共の権利と福祉に従属しなければならない」という1919年の第1回ドーイル・エーランの民主主義計画における宣言を繰り返そう。

従来の経済学は、唯物論的価値、集中化、大規模経済に基づいており、資本主義型・ソヴィエト型のいずれにおいてもかかる社会的・環境的コストを無視している。今世紀最も有力な経済学者メイナード・ケインズから引用しよう。

「少なくともあともう百年のあいだ、我々は自分自身とすべての人を「きれいは汚い、汚いはきれい」とごまかし続けなければならない。というのも、不正は役立つが公正は役立たないからだ。強欲者、高利貸し、用心深い人は、もうしばらく我々の神でなければならない。彼らのみが、我々を経済的必要性の暗闇から外の日なたに連れ出すことができるからだ」
ケインズは1930年の抑圧の期間に話していたのだが、倫理的配慮が経済成長の障害となるという彼の主張は、60年後の現在、判断することができる。

現在、どんな社会が日なたに到達しただろうか? 世界の半分以上はほとんど持っていないことがわかっている。では、どの富裕な社会が「充分に持っている」と言うだろうか? もちろんG7ではない。彼らはいまだにもっと求め続けており、貧しい国々もいつか同じ「強欲と高利貸し」のライフスタイルになれると信じ込ませるために洗脳しようとしている。

優勢を獲得したG7その他の国々は、化石燃料から熱帯雨林に至るまでの資源を世界からはぎとり、多国籍企業を通して大規模な属国状態を作り出している。

世界中の元植民地が有名無実の独立を果たしたが、そのいくつかは大きな資源を持っているものの、国内に貧困にあえぐ数百万の人を抱えている。南アメリカの小屋の町に住むような人々を。これは、わたしたちのように、資本家の植民地化を被ったからである(わたしたちも、移住がなかったならば同程度の貧困に陥っていただろう)。彼らはいまだに植民地支配者によって経済的に利用されている。経済学者による新植民地化は以前より微妙ではあるが。これから逃れる道は、わたしたちがアイルランドのために主張しているような新しい型の経済の思い切ったプログラムしかない。わたしたちは自分自身がヨーロッパ内で植民地化され、第1・第3世界の経済の混合物となっているのである。

 

 

現実的で正常な選択肢

わたしたちの経済の視点は違ったものであり、わたしたちはこの文書でその特徴的な要素について概説してきた。わたしたちにとって国民は最初にくるものであり、「成長」から充足へ、国民の依存心から自己信頼と自己表現へ移動させる。組織は国民のためにあるのであって、国民は組織のためにあるのではない。

わたしたちの社会は急速に2階級社会となりつつある。少数の特権階級の人々が存在するが、彼らは必ずしも怠けた金持ちというわけではない。多くの支配人と専門家は非常に熱心に働いており、ストレスに悩まされることも多い。それと並んで、依存する多数の消費者がおり、多くは貧しく怠け者だが、労働組合が彼らのために運動をしていることを除けばだれも力を持っていない。

もう一人の著名な経済学者J・K・ガルブレイスは、アメリカ合衆国について、「私的な豊かさと公的な不潔さ」と述べた。これは、世界の消費者人口の6%が、世界の資源の40%を消費しており、貧困と犯罪がいまだに数百万人の生命を脅かしていることからいわれたのである。これは、わたしたちがもっと正常でもっと人間的なものに置き換えようとしているモデルである。

経済関係と個人的実現におけるさらに偉大な民主主義は、小企業、労働者/生産者が所有する協同組合、地域開発によって達成される。多くの社会的利益は、小規模な組織から生まれてくる。人々は所属感を持ち、さらに責任ある振る舞いをし、自分自身の個人的主導権に貢献することになるだろう。

人々の大部分は、異なった一連の価値に基づいたこの社会的・経済的・国家的再建に関わらなければならない。労働力が小さなチームに組織される場所では人々が自尊心を持つことができ、労働者は自分の仕事に満足を感じ、さらに働こうとする、ということをすでにいくつかの巨大な非個人的な企業でも発見している。地元・地域当局(エーレ・ヌア)が、地方・国家議会同様にアイルランド全域の社会的・経済的発展の主体となれないわけがない。

多国籍企業の役割をアイルランドで制限すること、経済の高さへの指揮が民主的管理下でもたらされること、地場産業を推進すること、民主的法律構造が労働者・生産者の所有する協同組合を促進するために置かれることを、シン・フェイン・ポブラハタハは保証する。このような企業は、農業・製造業・漁業・流通業・住宅・銀行において組織され、栄えることができるだろう。

このような社会変化をもたらそうとしている多くの国々において啓蒙と進歩的な力が働いており、このようなアプローチを提案するにあたって、わたしたちは過度に理想主義や孤立主義に陥ってはならない。

最終的に、わたしたちはすべての兄弟姉妹の管理者である。自己信頼と共同体の努力を促進することによって、わたしたちは、もっと単純ではあるがもっと充足でき、洗練すらされているライフスタイルを、余暇と文化的利益に重点を置いて促進することであろう。

情報処理のような技術は、いかなる点でも環境を損なうことなしに開発のための人類の将来性を増大させるであろう。

環境を守ることは、協調的に経済的効率を進めるだけでなく、新しい市場を開拓する推進力にもなるのだ、ということに多くの評論家が気づき始めている。たとえば、アイルランドは、有機農業生産の市場をヨーロッパで利用できる独特な場所にある。一連の産業全体は、漁業と林業を中心にうち立てることができるだろう。

 

 

今すぐできるプログラム

シン・フェイン・ポブラハタハは、その目的を達成するには長い道のりがあることに気づいている。しかし、現在の失敗したつぎはぎ的システムに代わるものの概略を示す義務があると思われる。

新しい契約を求めるアイルランド国民を組織するために、シン・フェイン・ポブラハタハは、現存する体制が共同体を損なうために最も深刻に機能しているまさに現時点で、直ちに行動計画に専念する。

これらの問題には以下のものが含まれる。

  • アイルランド国民の利益に反するEU/EPU/EMU提案に反対する。
  • 6州での放送メディアにおける制約だけでなく、抑制・引き渡し・放送法31条に反対する団結。
  • 26州地方選挙に反対。
  • 地元と共同体の問題に関与する。
  • 地元金融を含む地域の自主性を支援。
  • 共同企業の促進・推進。
  • 環境保護運動、ゴミのリサイクル促進。
  • 国民、特に若者と失業者に、既存体制に代わるわたしたちの代案を知らせる。
  • 月刊出版物SAOIRSEの発展・拡大。
  • 消費者の権利を支援し、政治家の相談所体制を暴露。
  • 不公平な銀行業務に対するキャンペーン。
  • アイルランド語テレビ放送のためのキャンペーンを支援。
  • 住宅キャンペーンの支援、立ち退きへの反対活動。
  • 失業者と移民のために、彼らとともに活動。
  • 失業危機を回避するために、年金によって威厳ある生活ができるようなPAYE労働者のための希望退職の考え方を主張。これは、適切に出資される国家年金によって実現可能であろう。退職年齢を今後10年間に1年ずつ減らす。
  • 労働者の権利を支持する労働組合活動に参加し、組織化された労働者にわたしたちの代案計画への興味を持たせる。

「経済発展は、計量経済学はいわずもがな、経済学よりも広く深いものである。その根元は、教育・組織・訓練という経済学の領域の外にあり、また、それを越えた政治的独立と国家的自己信頼の意識にある。それは、外国の専門家やふつうの人々との接触を断った生まれつきのエリートが実行して巧妙に組み立てられた計画によって「生み出される」はずはない。それが成功できるのは、各自の精力・熱狂・知性・労働力を完全に有用なものにすることに重点を置いて、広い一般的な「再構成運動」として実行した場合のみである。成功は、科学者・技術者・経済計画者によって作り出された魔術的な形態によって得られるはずはない。それが実現するのは、全人口の教育・組織・訓練を引き起こす成長のプロセスを通してのみである。これ以下のものはすべて失敗に終わるであろう」

「民主主義・自由・人間としての威厳・生活水準・自己信頼・実現の意味は何か? それは商品の問題か、それとも人々の問題か? もちろんそれは人々の問題である。しかし、人々は小さく理解可能なグループの中でのみ自分自身であることができる。そのため、わたしたちは、小規模集団の積み重ねに対処できるように接続された構造について考えるようにしなければならない。もし経済学的思考がこのことを把握していなければ、役に立たない。その広大な抽象概念、国民総所得、成長率、資本/支出比率、入出力分析、労働機動力、資本蓄積を越えることができないならば、あるいは、これらを越えることができず貧困・不満・阻害・絶望・衰弱・犯罪・現実逃避・ストレス・渋滞・醜悪・精神的死という人間の現実との接点を持つことができないならば、経済などお払い箱にして、新たに出発しようではないか。

実際、新しい出発が必要であることを示す充分な「その時のしるし」があるのではないか?」
-- E.F. Schumacher in
SMALL IS BEAUTIFUL

E・F・シューマッハー博士は、経済学者・ジャーナリスト。ドイツに生まれて多くの国に住み、オックスフォード大学で学んでニューヨークのコロンビア大学で教えている。彼は、西洋の経済的態度についての評論でよく知られている。それはベストセラーの『小さいことは美しい』で明瞭に記されている。この初版は1973年、それから31版増刷された。1977年死亡。

フリッツ・シューマッハーは第三世界諸国の発展に大きな関心を抱いていたが、先進国もまた大きな問題を持っていると宣言した。彼は現代社会を、貪欲で非能率的、非人道的、非エコロジー的であるとみなし、価値についての完全な再教育を求めた。

シューマッハーは石油不足、環境破壊、生活と仕事における非人間的組織化、失業の増大といったものが織りなす危機を、すべて人間疎外と大きな社会問題に帰結すると見ていた。他の人よりも彼は仲介的技術の思想に乗り出していた。

「現代技術は、いよいよ暴力的なものになっている。暴力は、一人が他の人の頭を叩くという問題に終わるものではない。それは暴力的手段を使用している。わたしたちはこれを農業でも使っている。そこでは非常に暴力的な化学薬品をまき散らし、それを殺虫剤(pesticides)と呼ぶが、それは「殺害物質」という意味である」

彼は、低コスト、資源使用節約、自然に優しい、そして、そのために持続可能であるという人間的尺度に基づいたライフスタイルと技術の創造を主張した。

現在、仲介的技術団体とシューマッハー協会が多くの国にあって、この人物の理想を推進している。彼らは、小さな労働部門、共同社会的所有権、地元の労働力と資源を活用する地域職場を強調する。彼自身はこう言った。「わたしたちは、人々を重視する経済学を必要としている」

 

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