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IRELAND | 共和主義シン・フェイン党 | UnOfficial |
SAOL NUA(スィール・ヌア) -- A new way of life
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Eire Nua(エーレ・ヌア)――新民主主義 は、4つの地方議会があり、最大限の地方分権民主主義を提供する新しい連邦制アイルランドのためのシン・フェイン・ポブラハタハ(共和主義シン・フェイン党)プログラムのタイトルである。 この構造は、英国による「アイルランド問題の解決」の一部として1922年にアイルランドに作られた二つの国家に代わるものである。エーレ・ヌアは、アイルランドの市民すべてが新しい本物の民主主義に参加できるであろうと保証する。 自由アイルランドの新しい構造は、それ自体が社会的・経済的秩序をもたらすものではなく、すべてのアイルランド国民の社会的・文化的・経済的解放を導くような進歩的な政策を導入できるようにするものである。 アイルランドにおける分断政府の結果を現実的に評価すれば、どう考えてもこの配置は失敗であったということになる。6州国家の失敗のほうが、明らかに、そして確かに広く、知られているだろう。だが、26州固化もまた失敗したのだ。少なくとも、全国民にきちんとした快適な生活を与えることに失敗したということが明白である。 1800年の合同法のもとでアイルランド人口を激減させた植民地的資本主義体制は、いまだにアイルランドで機能している。1922年以降、ここで生まれた人のうち二人に一人が移住せざるをえなかった。残ったうちの3分の1は、西ヨーロッパ標準の定義によれば、受け入れることのできない貧困状態で生きている。 最近では、26州の労働人口の20%と、6州の15%が失業登録している。貧富の格差は広がり続け、この阻害と格下げの社会的結果は、明らかに存在し、広範囲に及んでいる。 1973年からのEC加入は、多国籍資本主義の力を加速することになり、アイルランドをこのような弱体状況に据え置き続けた。ECのために提案された新しい政治連合は、アイルランド国民が自分自身の仕事を扱うことをさらに少なくするという結果に終わるであろう。そして、わたしたちは巨大産業と多国籍企業の利益に奉仕する経済計画者たちによって、単なる「地域」として扱われることになるだろう。 東欧のソヴィエト体制の崩壊は、資本主義や市場経済の勝利を示すとはいいきれない。どちらの体制も集中化・非個人的・非エコロジー的・非倫理的なものである。彼らは、何百万人もの人々を依存させることによって無能化し、地球とその資源を破壊してきた。富裕な国の高度消費、高度汚染の生活形態は、貧しい国々の利用に基づいたものであり、いまや絶望的に支えられなくなっている。 規制のない多国籍資本主義は、真実の民主主義の否定である。いかなる民主主義的統制からも逃れている。略奪して人間性を失わせるものである。人々の多数派の利益に役立つものではない。終わることのない経済「成長」の追求は、EC内部のようにますます集中化して非民主主義的なものとなっていったが、これは完全に新しく分権化した人道的体制に置き換えられなければならない。 シン・フェイン・ポブラハタハの見方では、従来の経済は持続できない方法であり、これは社会的・環境的・倫理的・精神的価値に従属すべきであると考える。 わたしたちは、投資の権益や利潤の最大化よりも人間と人間の発展を重視する新しい経済体制を必要としている。いま、人々と社会正義にとっての真実の長期的利益を促進するために、大きな変化が必要となっている。わたしたちの望むアイルランドの新しいヴィジョンを作り上げ、それに従って計画を立て、国民に方向と目的の意味を伝える必要がある。 ここで、アイルランド愛国者ジェームズ・コノリーの予言的な言葉を思い出すのがよさそうだ。 ジェームズ・コノリーとパートリック・ピアースはなくなったが、彼らが変えようと求めた体制はいままさに存在し続けている。この体制は、1916年以来、200万人のアイルランド人に移住を強いてきたのだ。 この文書の中で、シン・フェイン・ポブラハタハは、社会的・経済的計画の原則的要素の概略を探求する。わたしたちは、現在のシステムが続くならば、それが分断配置に基づくものであれ、統一形態であれ、ECに参加するしないにかかわらず、自由・平等・博愛および各共同体と各個人の幸福を提供するような人的・社会的・経済的発展をもたらすことはありえない、という確固たる信念を持っている。 数世紀の植民地主義と、数十年間の多くの移住と失業は、アイルランドにおける敗北主義の心理を引き起こした。これらの問題が必然的なものであると受け入れるなら、わたしたちの国家的達成の基準を引き下げることになる。ECへの接近統合を主張する政治家たちは、この体制を単に自分たち自身の不適当な行為と失敗からの言い逃れの手段とみなしているのだ。 新規に、人間の一連の価値に基づき、またこれらの価値を促進するようになっている政策に基づいた何かが必要だ。これらの価値と政策は以下に概略されており、アイルランドにおける新しい社会――スィール・ヌア(Saol Nua)への道を指し示している。
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長期政策国民が第一に来ること、すべての社会的・経済的政策は国民の利益に役立つべきであるということが、シン・フェイン・ポブラハタハの根本的信念である。現在のアイルランドで、巨大な財産が少数の選ばれた階級の人々、特に政治家階級(多大な経費や年金などによる)、銀行家、ビジネスマン、特別な開発者、メディア・グループによって享受されていることはご存じのとおり。この「国家階級」は、アイルランドと多国籍双方の資本を導き、操作し、扱いやすくする国際的一団の一部である。彼らの利益は、ふつうの人々の利益をはるかにしのぐ。その一方で、地方経済は崩壊しつつある。町と州では失業者の数が上昇しており、これは重大な社会問題と、数千人の個人・家族の惨めさを次々と生み出している。大規模な移住は、この国家的醜聞について政治家が関心をそらすための安全弁となっている。 働くのは、人間にとって自然なことだ。自分の才能を有意義に、満足のいくように、生産的な仕事で活用する権利をすべての人が与えられている。わが人的資源に対して支払われているのは、リップ・サービスだ。膨大な数の人々が何もしない以上に不経済なことがあるだろうか? 怠けている人から生み出される者は皆無である。また、役に立たないと感じるがために、自分自身の世話をする機会を奪われた人々の自尊心には重大な損害がある。 すべての人の福利と福祉を生み出す方法で社会を組織することは、人々の巧みさ以上に確かなものはない。仕事の機会を供給することは、いかなる根本的な計画についても根本的な目的であるべきだ。このような計画の一つの基礎は、重点を明らかに移動させるべきだということだ。適切な場所に物質的なものをそろえるというライフスタイルを発展させる必要があるが、これは二次的なものであって、主要なものではない。このようなライフスタイルは、人間性の現実の必要に対する最初の場所を与え、わたしたちのまわりの生物や地上の有限な資源と互換可能なのである。 「持てる人」が「持たざる人」よりも大きな問題であるのももっともだ。貪欲な消費社会のライフスタイルにおいては、彼らは物質的「対象」が次から次へと代わっていく。ビデオ・レコーダー、2台目の車、第2の休日、ヨット、などなど。その一方で、売るものもなく労働が最も弱い立場に置かれている人々は、長期的な失業を宣告されて、社会の周縁に追いやられてしまう。犯罪率の上昇は、この国家的醜聞の結果として生まれた避けがたい社会問題の一つなのである。 この体制を動かしている人々は、質的ではなく量的な経済成功の目安を考案した。これは、アイルランドがいかに経済「成長」し、同時に失業者も増えたのかを説明するものである。これは注でこのように述べている……1990年の国連開発計画レポートでは「経済成長と人類の進歩の間の関連は機械的なものではない」と結論づけている、と。 エーレ・ヌアでわたしたちは、アイルランド政府の分断体制を運営している者たちが変化をもたらすことはほとんどありえないし、彼ら自身がいまや問題の一部となっている、と述べた。これに加えて、社会的・経済的状況のなかで、政治・金融・管理・経営において経歴と生き残りを追求する人々は、今日の権力構造の囚人となっており、彼らの操作している体制が失敗であったという現実を正視する勇気をほとんど持っていないであろう、ということをここで付言しておきたい。 根本的なアプローチと他の市民の独立精神を一貫して主張してきたシン・フェイン・ポブラハタハのみが、自由に選択肢を提案・推進することができる。 わたしたちが資本家体制について述べた批判の多くは、他国でも当てはまる。しかし、アイルランドにいるわたしたちは、資本家植民地主義の長らくさられてきたという経験のため、特に厳しい方法で苦しめられてきた。EUの技術家政治主義者にさらなる力を与える方法によるいっそうの「固定」は、ロンドンへの依存からブリュッセルへの依存への変化をもたらすだけで、問題の解決にはならないだろう。それどころか、わたしたちの今日の悲惨な状況をもたらした力は加速するであろう。まったく異なった価値観と標準に基づいた、新しい根本的アプローチが必要なのである。 わたしたちは、他の国々にも重要な不安があることに気づいていない。先進国・途上国双方で、特に資源のひどい浪費、環境汚染、化学農法、高度技術化の結果の人間性喪失が起こっている。多くの人々が、人類と惑星の存続そのものが危険にさらされていることに気づきつつある。 シン・フェイン・ポブラハタハの綱領は、わたしたちが連邦民主社会主義共和国をアイルランドに作ろうとしていると宣言している。エーレ・ヌアで概説された民主的構造は、すべての市民が生産の経済的担当を担うことができることを求めた社会・経済体制によって補完される。小さく、明確で、理解可能なグループのみにおいて、人々は自分自身であることができ、自信・威厳・実現を達成することができる。アイルランドのComhar na gComharsanは、それぞれの労働者が生産手段を所有することによる地元または共同体の発展の一例である。
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必須の要素シン・フェイン・ポブラハタハは、以下のようなものが、わたしたちの提案する民主社会主義体制の必須の要素であると考えている。
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国家は共同体の共同体であるアイルランドにおける新型の社会についてのわたしたちのヴィジョンは、わたしたちを中心的なヨーロッパ権力中枢の集合的利益に従属させるEUの政策の全体的推進力とは、明らかに異なっている。さまざまな国での緑の党の最近の成功といくつかのEUの環境法を除けば、ますます集中化して巨大な資源を消費し続けている従来の多国籍資本主義は、EUとその政策の基礎となっている。 わたしたちの基礎的価値に沿ってアイルランドを開発するため、最終的にEUへの完全参加ではない新しい立場を模索することが必要になるだろう、という決定は避けがたいものである。それだけでなく、わたしたちは、開発途上国に対する貿易条件の締め付けには合意しない。それは、支配に基づいたものであり、依存状態を作り出すことになる。 人類のそれぞれの世代は、順番に、地球の管理を担当すると考えられる。人類という家族は地球を保護・保存・育成し、後世に備える方法で生活する義務がある。すべての国家と国民の権利を認識した、新しい、持続可能な、地球に優しい経済を構成するための国際的提案を、シン・フェイン・ポブラハタハは歓迎する。ヨーロッパ内で植民地主義を経験した国家として、アイルランドはこの事業に特別な貢献ができると思う。 わたしたちの民主社会主義的観点は、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、その他の全世界的期間の役目に疑問を呈する。豊かな高度消費・高度汚染を行なう7か国、すなわちG7傘下のアメリカ合衆国、フランス、英国、イタリア、日本、ドイツ、カナダは、わたしたちの世界開発と貿易にあまりにも大きな影響を持っている。彼らの行なっている経済は、数百万人の人々を貧困に追いやり、この惑星上の生命を消滅させるおそれすらある。「経済(economics)」という言葉はギリシア語に由来しており、もともとの意味は「家庭を経営する」であった。全人類の家庭が、民主主義と持続可能な破壊のない開発に基づいて、公平な方法で経営されるべき時がきたのである。 わたしたちがうち立てようとしている民主社会においては、政治的・経済的生活のどちらの構造も決定的に重要なものとなる。提案された政治的構造は、エーレ・ヌアで概説されており、それは補助の原則に基づいたものである。国家は共同体の共同体であり、それぞれの地元の共同体は自立のための手段を有し、人々はその決定を知らされ、関与する。これが進歩の必要条件となる決意を生み出すのである。 わたしたちは、私有財産を廃止するつもりはない。しかし、「すべての私財産権有は、公共の権利と福祉に従属しなければならない」という1919年の第1回ドーイル・エーランの民主主義計画における宣言を繰り返そう。 従来の経済学は、唯物論的価値、集中化、大規模経済に基づいており、資本主義型・ソヴィエト型のいずれにおいてもかかる社会的・環境的コストを無視している。今世紀最も有力な経済学者メイナード・ケインズから引用しよう。
現在、どんな社会が日なたに到達しただろうか? 世界の半分以上はほとんど持っていないことがわかっている。では、どの富裕な社会が「充分に持っている」と言うだろうか? もちろんG7ではない。彼らはいまだにもっと求め続けており、貧しい国々もいつか同じ「強欲と高利貸し」のライフスタイルになれると信じ込ませるために洗脳しようとしている。 優勢を獲得したG7その他の国々は、化石燃料から熱帯雨林に至るまでの資源を世界からはぎとり、多国籍企業を通して大規模な属国状態を作り出している。 世界中の元植民地が有名無実の独立を果たしたが、そのいくつかは大きな資源を持っているものの、国内に貧困にあえぐ数百万の人を抱えている。南アメリカの小屋の町に住むような人々を。これは、わたしたちのように、資本家の植民地化を被ったからである(わたしたちも、移住がなかったならば同程度の貧困に陥っていただろう)。彼らはいまだに植民地支配者によって経済的に利用されている。経済学者による新植民地化は以前より微妙ではあるが。これから逃れる道は、わたしたちがアイルランドのために主張しているような新しい型の経済の思い切ったプログラムしかない。わたしたちは自分自身がヨーロッパ内で植民地化され、第1・第3世界の経済の混合物となっているのである。
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現実的で正常な選択肢わたしたちの経済の視点は違ったものであり、わたしたちはこの文書でその特徴的な要素について概説してきた。わたしたちにとって国民は最初にくるものであり、「成長」から充足へ、国民の依存心から自己信頼と自己表現へ移動させる。組織は国民のためにあるのであって、国民は組織のためにあるのではない。わたしたちの社会は急速に2階級社会となりつつある。少数の特権階級の人々が存在するが、彼らは必ずしも怠けた金持ちというわけではない。多くの支配人と専門家は非常に熱心に働いており、ストレスに悩まされることも多い。それと並んで、依存する多数の消費者がおり、多くは貧しく怠け者だが、労働組合が彼らのために運動をしていることを除けばだれも力を持っていない。 もう一人の著名な経済学者J・K・ガルブレイスは、アメリカ合衆国について、「私的な豊かさと公的な不潔さ」と述べた。これは、世界の消費者人口の6%が、世界の資源の40%を消費しており、貧困と犯罪がいまだに数百万人の生命を脅かしていることからいわれたのである。これは、わたしたちがもっと正常でもっと人間的なものに置き換えようとしているモデルである。 経済関係と個人的実現におけるさらに偉大な民主主義は、小企業、労働者/生産者が所有する協同組合、地域開発によって達成される。多くの社会的利益は、小規模な組織から生まれてくる。人々は所属感を持ち、さらに責任ある振る舞いをし、自分自身の個人的主導権に貢献することになるだろう。 人々の大部分は、異なった一連の価値に基づいたこの社会的・経済的・国家的再建に関わらなければならない。労働力が小さなチームに組織される場所では人々が自尊心を持つことができ、労働者は自分の仕事に満足を感じ、さらに働こうとする、ということをすでにいくつかの巨大な非個人的な企業でも発見している。地元・地域当局(エーレ・ヌア)が、地方・国家議会同様にアイルランド全域の社会的・経済的発展の主体となれないわけがない。 多国籍企業の役割をアイルランドで制限すること、経済の高さへの指揮が民主的管理下でもたらされること、地場産業を推進すること、民主的法律構造が労働者・生産者の所有する協同組合を促進するために置かれることを、シン・フェイン・ポブラハタハは保証する。このような企業は、農業・製造業・漁業・流通業・住宅・銀行において組織され、栄えることができるだろう。 このような社会変化をもたらそうとしている多くの国々において啓蒙と進歩的な力が働いており、このようなアプローチを提案するにあたって、わたしたちは過度に理想主義や孤立主義に陥ってはならない。 最終的に、わたしたちはすべての兄弟姉妹の管理者である。自己信頼と共同体の努力を促進することによって、わたしたちは、もっと単純ではあるがもっと充足でき、洗練すらされているライフスタイルを、余暇と文化的利益に重点を置いて促進することであろう。 情報処理のような技術は、いかなる点でも環境を損なうことなしに開発のための人類の将来性を増大させるであろう。 環境を守ることは、協調的に経済的効率を進めるだけでなく、新しい市場を開拓する推進力にもなるのだ、ということに多くの評論家が気づき始めている。たとえば、アイルランドは、有機農業生産の市場をヨーロッパで利用できる独特な場所にある。一連の産業全体は、漁業と林業を中心にうち立てることができるだろう。
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今すぐできるプログラムシン・フェイン・ポブラハタハは、その目的を達成するには長い道のりがあることに気づいている。しかし、現在の失敗したつぎはぎ的システムに代わるものの概略を示す義務があると思われる。新しい契約を求めるアイルランド国民を組織するために、シン・フェイン・ポブラハタハは、現存する体制が共同体を損なうために最も深刻に機能しているまさに現時点で、直ちに行動計画に専念する。 これらの問題には以下のものが含まれる。
「民主主義・自由・人間としての威厳・生活水準・自己信頼・実現の意味は何か? それは商品の問題か、それとも人々の問題か? もちろんそれは人々の問題である。しかし、人々は小さく理解可能なグループの中でのみ自分自身であることができる。そのため、わたしたちは、小規模集団の積み重ねに対処できるように接続された構造について考えるようにしなければならない。もし経済学的思考がこのことを把握していなければ、役に立たない。その広大な抽象概念、国民総所得、成長率、資本/支出比率、入出力分析、労働機動力、資本蓄積を越えることができないならば、あるいは、これらを越えることができず貧困・不満・阻害・絶望・衰弱・犯罪・現実逃避・ストレス・渋滞・醜悪・精神的死という人間の現実との接点を持つことができないならば、経済などお払い箱にして、新たに出発しようではないか。 実際、新しい出発が必要であることを示す充分な「その時のしるし」があるのではないか?」 E・F・シューマッハー博士は、経済学者・ジャーナリスト。ドイツに生まれて多くの国に住み、オックスフォード大学で学んでニューヨークのコロンビア大学で教えている。彼は、西洋の経済的態度についての評論でよく知られている。それはベストセラーの『小さいことは美しい』で明瞭に記されている。この初版は1973年、それから31版増刷された。1977年死亡。 フリッツ・シューマッハーは第三世界諸国の発展に大きな関心を抱いていたが、先進国もまた大きな問題を持っていると宣言した。彼は現代社会を、貪欲で非能率的、非人道的、非エコロジー的であるとみなし、価値についての完全な再教育を求めた。 シューマッハーは石油不足、環境破壊、生活と仕事における非人間的組織化、失業の増大といったものが織りなす危機を、すべて人間疎外と大きな社会問題に帰結すると見ていた。他の人よりも彼は仲介的技術の思想に乗り出していた。 「現代技術は、いよいよ暴力的なものになっている。暴力は、一人が他の人の頭を叩くという問題に終わるものではない。それは暴力的手段を使用している。わたしたちはこれを農業でも使っている。そこでは非常に暴力的な化学薬品をまき散らし、それを殺虫剤(pesticides)と呼ぶが、それは「殺害物質」という意味である」 彼は、低コスト、資源使用節約、自然に優しい、そして、そのために持続可能であるという人間的尺度に基づいたライフスタイルと技術の創造を主張した。 現在、仲介的技術団体とシューマッハー協会が多くの国にあって、この人物の理想を推進している。彼らは、小さな労働部門、共同社会的所有権、地元の労働力と資源を活用する地域職場を強調する。彼自身はこう言った。「わたしたちは、人々を重視する経済学を必要としている」
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