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承平・天慶の乱
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平将門と藤原純友 |
承平・天慶の乱とは……承平・天慶年間に起った平将門(たいらのまさかど)と藤原純友(ふじわらのすみとも)の反乱。 下総に勢力をつちかっていた将門は東国で同族間の私闘を続け、935年(承平5)伯父の国香を殺し、次いで939年(天慶2)常陸国司に抵抗した藤原玄明を助けて常陸の国府を襲撃し、公然と朝廷に反抗するに至った。ついに関東8国を手中に収め、新皇と称した。翌年、朝廷の鎮圧軍が到着する以前に、藤原秀郷や平貞盛のために敗死。 伊予国の前掾・純友は、西国で海賊討伐を命ぜられていたが、936年(承平6)自ら海賊を率いて朝廷に反抗。淡路・讃岐の国府、太宰府を襲った。941年(天慶4)小野好古らによって鎮圧されて敗死。 この二つの反乱で中央政府の動揺ははなはだしく、中央政府の全国統制力の喪失を示し、律令国家崩壊を象徴した事件であった。 |
平将門は、首塚や七人将門などさまざまな伝説が付与されている。このサイトでは主に原典資料をできるだけそのまま現代語訳したものを古い順に並べることによって、将門・純友の史実がどのように伝説化していったかを読者の皆さんに読みとっていただきたいと思う。 |
目次 平将門 藤原純友 |
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