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承平・天慶の乱
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承平・天慶の乱 関連年表 |
年 | 月 | 日 | 関連事項 |
延長9 (931) |
将門、女論により伯父・平良兼と対立する。 将門、亡父良持の遺領のことで良兼と争う。 |
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承平2 | |||
承平3 | |||
承平4 | |||
承平5 (935) |
2 | 2 | 【野本付近の合戦】将門、常陸の野本付近で源扶らに要撃される。 |
4 | 将門、源護の本拠を襲って焼く。源護の子の扶・隆・繁ら討たれ、伯父国香も焼死。 | ||
国香の子・貞盛、変を聞いて急ぎ帰国するが、将門との争いを避ける。 | |||
10 | 21 | 【川曲村の合戦】叔父・良正、源氏との縁により、兵を集めて将門を攻める。将門、新治郡川曲村でこれを破る。 | |
良正、書状を良兼に送り救援を乞う。良兼、了承する。 | |||
承平6 (936) |
6 | 紀淑人を伊予守に任じ、南海道の海賊を追捕させる。海賊の小野氏寛以下2500人投降。前伊予掾・藤原純友にも海賊追捕の宣旨が下る。 | |
26 | 良兼、兵を発し、上総から信太郡奇崎津に着く。 | ||
27 | 【下野国庁付近の戦い】良兼、水守で良正・貞盛と合流し、下野国境で将門と対戦。将門は撃破し、下野国府に追いつめるが、囲みを解いて良兼を逃れさせる。 | ||
9 | 7 | 源護の告状により、将門らへ召喚の官符が届く。 | |
10 | 17 | 将門、急遽上洛し、検非違使庁にて裁かれる。 | |
承平7 (937) |
4 | 7 | 将門、朱雀帝元服の恩赦によって罪を許される。 |
5 | 11 | 将門、京を発って帰国。 | |
8 | 6 | 【子飼の渡の戦い】良兼、兵を発し、常陸・下総の境の子飼の渡しで将門を攻める。将門敗退、良兼らは豊田郡栗栖院常羽の御厨を焼く。 | |
17 | 【堀越の渡の戦い】将門、再起し、大方郷堀越の渡しで良兼と対戦するが、再び敗れ、幸島郡葦津江に潜伏する。良兼、将門の妻子を捕えて上総へ拉致する。 | ||
9 | 10 | 将門の妻、弟らの助力により良兼のもとを脱出、豊田郡に帰る。(9/15?) | |
19 | 【弓袋山の対陣】将門、常陸国真壁郡に発向、良兼の服織の宿を焼く。良兼ら、筑波山中に逃れる。(10/9?) | ||
23 | 将門、弓袋山に良兼を攻めるが、勝敗決せず(10/13?) | ||
将門、下総国の解文に注し、良兼らを京に訴える。 | |||
11 | 5 | 武蔵・安房・上総・常陸・下野等の諸国に、良兼ら追討の官符下る。 | |
12 | 14 | 【石井の迎撃戦】良兼、将門の駈使丈部・子春丸を買収して石井の営所の内情を探らせ、夜襲をかける。将門は奮戦して退ける。 | |
承平8 天慶元 (938) |
1 | 3 | 子春丸、捕殺される。 |
2 | 中旬 | 武蔵国庁において、権守・興世王+介・源経基と、足立郡司・武蔵武芝とが対立する。 | |
29 | 【信濃千曲川の戦い】貞盛、山道から密かに上洛を企てる。将門、信濃国小県郡の国分寺付近に追撃。貞盛、かろうじて逃れ、上京して将門の非行を訴える。 | ||
天慶2 (939) |
将門、武蔵国庁の紛争を調停しようとして出兵。興世王と武芝を和解させるが、介・経基はこれを疑い、上洛して将門らの謀叛を朝廷に密告する。 | ||
3 | 25 | 将門の私君・太政大臣藤原忠平、事実を糺すべき御教書を発し、中宮少進・多治真人助真を東国に派遣。 | |
忠平、右少弁源相職に、経基の密告に基づく御教書を将門に送らせる。 | |||
28 | 忠平の書状、東国に届く。 | ||
5 | 2 | 将門、常陸など5か国の解文を添えて謀叛は無実であることを忠平に言上。 | |
諸国の善状により、将門に功課あるべきこと、宮中で議論される。 | |||
6 | 上旬 | 下総介良兼、病床に臥し、剃髪して死去。 | |
中旬 | 貞盛、将門追捕の官符を得て帰国するが、将門の勢力が強く、苦悩する。 | ||
武蔵権守・興世王、新国司・百済貞連と不和、出奔して下総国に寄宿する。 | |||
常陸国の住人・藤原玄明、乱悪を事として長官・藤原維幾の制止を聞かず。将門が庇護し、維幾と対立。 | |||
常陸介・維幾、玄明追捕の移牒を下総国と将門に送るが、将門は拒否。 | |||
10 | 貞盛、陸奥守・平維扶の赴任に従って陸奥に入ろうとするが、将門に追撃されて山野に隠れる。 | ||
11 | 21 | 【常陸国衙攻略】将門、藤原玄明の愁訴により、維幾の子・為憲の狼藉を糺そうとして常陸に発向、貞盛・為憲の挑戦により、やむなく戦う。交戦して国府を焼き、長官維幾を捕え、印鎰を奪う。 | |
29 | 将門、長官・維幾と詔使を伴って本拠地に帰る。 | ||
興世王、将門に坂東の奪取を勧める。 | |||
12 | 11 | 【下野国衙攻略】将門、下野国府を襲って印鎰を奪い、長官・藤原弘雅らを都に追放。 | |
15 | 【上野国衙攻略】将門、上野国府を攻略。印鎰を奪い、長官・藤原尚範らを追放。 | ||
15 | 将門、書を私君の摂政・藤原忠平に送り、心情を述べる。 | ||
26 | 備前介藤原子高と播磨介島田惟幹、純友の士卒の捕虜となる。 | ||
19 | 【新皇即位】一巫女、八幡大菩薩の使いと称して将門を皇位につけようと告げる。将門、新皇と自称。 | ||
将門の弟・将平、小姓の伊和員経ら、将門を諫止する。 | |||
将門、除目を行なって東国の国司を任命。王城建設の議。 | |||
諸国長官、将門の謀叛に驚き、京へ逃げる。 | |||
将門、武蔵・相模を巡検し、印鎰を掌握。天位に預かる状を朝廷に送る。 | |||
将門謀叛の報により、京中の騒動がはなはだしい。 | |||
天慶3 (940) |
1 | 1 | 小野好古、山陽道の追捕凶賊使に任ぜられる。 |
3 | 律師明達、東西の兵乱降伏のため、延暦寺四王院にて四天王法を修する。 | ||
6 | 太神宮に奉幣し、京畿七道の諸神に一階を加えて、東西の兵乱の鎮定を祈願。 | ||
11 | 東海・東山両道に将門追捕の官符を下す。 | ||
中旬 | 将門、常陸に出兵。貞盛らの所在を探索。 | ||
19 | 西国の兵船、多数が備中に侵攻。備中軍逃散。 | ||
下旬 | 将門軍、吉田郡蒜間の江のあたりに貞盛と源扶の妻を捕える。将門は赦免する。 | ||
将門、軍を解いて諸国の兵を帰らせる。残る手兵は千人足らず。貞盛はこれを聞いて下野押領使・藤原秀郷と四千余りの兵を集め、将門を攻めようとする。 | |||
2 | 1 | 【川口村の戦い】将門、防戦のため下野に出兵するが、副将・藤原玄茂らの軽挙により敗北。秀郷ら、川口村に追撃。将門、奮戦及ばず敗退。幸島郡広江に隠れる。 | |
3 | 朝廷、純友を従五位下に叙し、懐柔しようとする。 | ||
9 | 太神宮に奉幣し、東賊平将門、西賊純友の余党の追討祈願。 | ||
13 | 貞盛・秀郷ら、兵を倍にして下総国境に進出。将門の館を焼く。 | ||
14 | 【北山の決戦】将門、北山に陣して貞盛軍と交戦。激戦ののち、神鏑に射られて死ぬ。 | ||
15 | 常陸介・藤原維幾、交替使ら、国館に戻る。 | ||
16 | 詔使の御符が発せられる。 | ||
22 | 追捕使・好古から純友上洛中と報ぜられ、摂政・忠平、庭上に出て諸社に祈る。 | ||
23 | 西海の賊に備え、山崎・川尻・備後等の警固使を定める。 | ||
将門の大兄・将頼や玄茂ら、相模国で殺害される。興世王、上総国で誅せられる。坂上遂高、藤原玄明ら、常陸国で斬られる。 | |||
3 | 4 | 追捕南海凶賊使を任命。 | |
9 | 将門追討の功により、武蔵介・源経基を従五位下、常陸掾貞盛を正五位上、押領使藤原秀郷を従四位下に叙す。 | ||
4 | 8 | 海道撃平将軍藤原忠舒ら、下総に入り、将門の残党を捜索。将門の弟ら七、八人、剃髪して山野に隠れる。 | |
10 | 山陽道に海賊発起か、との通報あり。 | ||
25 | 将門の首、下野国の解文を添えて京に送られる。 | ||
5 | 15 | 東国・西国の群賊平定の祈願のため、諸社および東海・東山両道の明神に臨時の奉幣使が立つ。 | |
6 | 10 | 公卿、山陽道追捕使に、純友の暴悪な配下を捕えさせるべきであると評定。 | |
将門、中有の使いにより、冥界の消息を伝える。 | |||
8 | 20 | 臨時に石清水以下の12社に奉幣、純友の郎等・藤原文元らの討滅を祈願。 | |
22 | 近江国の兵士100人を挑発して、阿波国の賊徒を討たせる。 | ||
26 | これより先(18日)賊船400隻余、伊予・讃岐に来襲。さらに備後・備前の兵船100余を焼く。 | ||
27 | 右近衛少将・小野好古を山陽・南海両道の海賊使に任じ、所々の警固使を定める。 | ||
29 | 紀伊国より南海の賊船来襲の飛駅あり。天台山にて五壇法、法琳寺にて大元帥法を修させる。 | ||
9 | 2 | 讃岐国、賊徒・紀文度を捕え、京へ送る。 | |
3 | 石清水・賀茂両社に奉幣、山陽・南海の海賊の追捕を祈願。 | ||
10 | 22 | 太宰府追捕使の官兵が賊徒と対戦して撃破されたことを、安芸・周防の飛駅が報ずる。 | |
11 | 22 | 律師明達、摂津国住吉の神宮寺で純友調伏の法を修する。 | |
12 | 19 | 土佐国の官兵、八多郡に来襲した海賊と激戦。双方、死者多数。 | |
天慶4 (941) |
1 | 21 | 伊予国、暴悪な賊徒の一人、前山城掾・藤原三辰の首を京に送る。 |
2 | 6 | 山陽・南海の凶賊のことにより、諸社に奉幣。 | |
9 | 兵庫允・宮道忠用、藤原恒利ら、伊予に海賊を攻め、大打撃を与える。 | ||
5 | 15 | 臨時に十三社に奉幣、凶賊の討滅を祈る。 | |
19 | 好古、賊徒の太宰府略奪を奏上。これにより参議・忠文を征西大将軍とし、副将軍・軍監らも任命。 | ||
23 | 仁王会が開催され、純友追討の呪願文あり。 | ||
6 | 6 | 追捕使等の賊徒撃破を報じる。 | |
11 | 備中・備前の飛駅、純友らの船が響灘から脱走したことを奏上。 | ||
29 | 伊予国、暴悪な賊徒の一人、前山城掾・藤原三辰の首を京に送る。警固使・橘遠保、賊首純友を射殺したと報ずる。 | ||
7 | 7 | 遠保、純友と子・重太丸の首をもたらす。 | |
8 | 7 | 好古、京に凱旋。 | |
9 | 22 | 播磨の飛駅、賊徒・三善文公の誅殺を報じる。 | |
10 | 26 | 但馬国から純友の配下の藤原文元・文用の首が入京。 | |
11 | 29 | 太宰府から、西国の凶賊の次将・佐伯基是の身柄が左衛門府に護送される。 | |
12 | 29 | 天下に大赦が行なわれる。 |
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