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承平・天慶の乱
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将門記 2 良正との戦い |
●川曲村の合戦 こうして対面しようとしている一方で、故・上総介高望王の妾の子・平良正も、また将門の次の伯父であった。それゆえ、下総介の良兼朝臣と良正とは兄弟であって、二人ともあの常陸の前の掾である源護の姻戚であった。護はいつも、息子の扶・隆(たかし)・繁(しげる)らが将門のために亡くなったことを嘆いていた。しかし、下総介の良兼は上総国にいて、いまだこの事情を知らなかった。 良正一人が親類縁者のことを思い慕って、車のように常陸の国内を奔走する。ここで良正は外戚・源護一家の不幸に同情する余り、同じ平一族である将門との親族関係を忘れた。そこで干戈の計画を立て、将門の身を滅ぼそうとした。ときに、良正の縁者(源護一族)がその威力の準備を見て、いまだに勝負はわからないけれども、にっこり笑ってよろこんだ。常道に従って楯を負い、状況に従って出立した。 将門はこのことを伝え聞いて、承平五年10月22日、常陸国の新治郡川曲(かわわ)村に向かう。そこで良将(良正)は声を上げて予定通りに打ちあい、命を捨てて互いに合戦した。しかし、将門に運あって勝利し、良正は運がなくついに負けた。射取る者は60人余り、逃れ隠れた者は数もわからない。こうしてその22日に将門は本拠地に帰った。ここで良正とその一族・一時的同盟者は、兵の恥を他国でさらし、敵の名声を上げることになってしまった。情けないことに静かで動かない雲のような心を動かして、疾風の影を追いかけてしまったのである。 |
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承平・天慶の乱関連年表 |