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オサマ・ビン・ラディン情報

Osama (Usama) bin Ladin(Laden)
 

ABCNEWSより。

 

合衆国軍はオサマ・ビン・ラディンの脅しを深刻に受けとめる
攻撃への警戒

'Soldiers prepare barricades'
部隊は、トラック爆弾を設置されそうな建物から鉄条網を遠ざけた。(ABCNEWS.com)

 

ABCNEWS.com
6月11日 ――合衆国軍サウジアラビアにおける攻撃を警戒している。そこでは、オサマ・ビン・ラディンが来たる数週間のうちにアメリカ人を殺すと脅迫したことが、極めて深刻に受け取られている。
 軍事基地は警備を強化し、国務省は中東のすべてのアメリカ人旅行者に殺害されないよう警告した。
「アラーは、次の勝利がヒジャズ、ネジド、サウジアラビアにおいて行なわれることを望んでおり、それはアメリカ人にベトナムやベイルートの恐怖を忘れさせるほどのものになるだろう」とビン・ラディンはABCNEWSのジョン・ミラーに、アフガニスタンの隠れ家での不吉なインタビューで述べた。
 ネジド(Nejd)はプリンス・サルタン空軍基地を含むであろう――19人のアメリカ軍人を棺桶に入れて帰郷させることになった、ダーランのホバル(Khobar)・タワーでのテロ爆弾爆破後、ほとんどの合衆国部隊が再配置されたサウジアラビア砂漠不覚にある前哨基地である。
 国家安全保障通信員ジョン・マクウェシーが「ナイトライン」で報告したように、合衆国軍はホバルのあとに二度、恐ろしい思いをしている。それは、ビン・ラディンが関与しているとされている。それはもっと悪いものになるかもしれない。そして、それはほぼ確実に再び起こるだろう。
 サウジアラビアでは、かつてはアメリカ人にとって比較的安全であると考えられていたが、その光景は一夜にして変わった。
「それは我々の注意を導いた。何があるかを監視することは、我々がやる必要がないと思っていたものだった」と、統合参謀本部議長ヒュー・シェルトン将軍は述べた。
 合衆国は、ダーラン近辺の数百のビルに散らばって働いたり住んだりしている軍服を着た数千人を一掃した。そこは、もはや合衆国軍人がサウジの民間人と一緒にいることはない。重要な建物のとなりには自由に入れる駐車場はもうない。アメリカ部隊が駐留しているのは、有刺鉄線で囲まれ、守られ、分離された広大な地域にのみである。
「遠く離れた地域、広大な場所に全員を押し込めることで、大変、大変よい安全を維持することができる」と、ワイネ・ドウニングは述べる。彼はホバル・タワー爆破についての国防総省の初期調査を率いた4つ星の将軍(大将)である。
「もちろん、そのような配置の弱点は、卵をすべて一つのかごに入れておくようなものだ。ミサイルでも空襲でもいいが、そういうタイプの攻撃にとって、今、プリンス・サルタン空軍基地以上に大きな標的はない」
 しかし、成功する戦闘テロはふつう、小さなもの、細部において遂行されるものである。
 サウジアラビアのすべての施設において、外部警備フェンスは最も誓いビルから数百フィートの距離にある。それは、トラック爆弾の効果を発揮するためには、フェンスの中に入らなければならないということだ。
「我々は、場違いだったり、そこにあるように思われないようなタイプの電線や、あらゆるタイプの爆破装置を探している。我々はバッテリーそのものもチェックする。バッテリーから余計な電線が出ていないか確認するためだ」とある軍人がABCNEWSに語った。
 門の警備を厳重にすることは比較的簡単だ。しかし、脅威は常に変わっている。
「我々が現在監視しなければならないのは、この地域で我々に向けられるかもしれない化学・生物兵器であり、我々は多くの注意を払ってきたが、我々はまだやらねばならないことがある」とシェルトンは言う。
 湾岸の部隊はすべて、炭疸菌の予防注射を受けている――これはもっとも簡単な生物兵器だ――そして、すべての施設は生物化学兵器の検出器を持っている。諜報機関の収集もまた強化され、司令官に速やかに情報を渡せるように努力してきた。
「我々は大きな標的だ。これは、世界中で我々が行動するなら冒すことになる危険である」とシェルトンは認める。
 現在、合衆国はテロ攻撃を困難にするために数百万ドルを使っている。それは、ビン・ラディンからイランの一部の指導者に至る範囲のテロ支援者にも向けられたメッセージである。しかし、湾岸のアメリカの友人によっては聞かれることも意図しているのだ。
「我々は逃げ出すような国ではない。ある人物やグループは、合衆国に続こうと決めているからだ。合衆国はここにとどまる」とシェルトンは言う。
 しかし、とどまることは代償をともなう。脅威があまりにも現実的な地域で作戦を行なうためには、息苦しい警備、地域における緊張関係、数十億ドルが避けられない。

 

 

●国境を越える

 彼のキャンプに至るために、わたしたちはある接触者とともにパキスタンの最北端の町に旅行した。彼はわたしたちを3日間かけて、ビン・ラディンのためにチェックした。アクラムと自称するこのエージェントは、わたしたちの装備を点検し、質問をし、信任状を確かめた。西洋人がほとんど旅したことがない地域に入っていると言われた。そして、伝統的なイスラム教の衣服を着るように言われた。
 国境の手前の最後の町で、アクラムは長い髭とターバンの老人に会った。彼は責められているようだった。わたしたちは裏口を通って、老人の家の後ろの壁で囲まれた中庭に追いやられた。
 中には、カラシニコフ機関銃が壁にかけられていた。戦車と手榴弾を図示するポスターがあった。わたしたちは食事を与えられ、眠れるなら寝るように言われた。アフガニスタンへの旅は何時間もかかるだろう。わたしたちは夕暮れに出発することになった。

●タリバーンを避ける

アクラムは、国境に向かったのと同じトラックの後ろにわたしたちと乗ったが、別の人たちもいた。国境はタリバーン市民軍に統制されている。タリバーンは生き物をビデオ撮影することを禁じており、さらに厄介なことに、ビン・ラディンにこれ以上公式声明をさせたくないと言っていた。
 わたしたちのカメラ装置を運ぶためにトラックが必要で、選択が与えられた。ドンがベールをかぶり、トラックの後ろで女性の旅行者に変装するか、闇の帳が下りた山々を歩いて、アフガン国境監視者に見られないように進むか。歩いて超えることが、成功率が高いと思われた。
 わたしたちのガイドは、何マイルにもわたって乾いた河床へと導いた。1時間半後、わたしたちは最後の丘を下った。わたしたちは今、アフガニスタンにいた。わたしたちの装備を積んだトラックは、山の下で待っていた。

●執拗な攻撃

 わたしたちは何時間も岩ばかりの谷を進んだ。道に似たようなものはなにもなかった。わたしたちはビン・ラディンのいくつかのチェックポイントで止められた。わたしたちのカメラ機材は取り上げられた。ビン・ラディンのメンバーは、すべての装備を内も外もチェックしようとした。彼らは、わたしたちの装備を心配していると言った。隠された発信機で、ビン・ラディンの場所を空襲でピンポイント攻撃できるというのだ。ひじょうに疑い深い人たちだった。
  二日間、わたしたちはキャンプの兵舎で待った。わたしたちは床に毛布で寝た。それから、第2夜、ビン・ラディンが会うと告げられた。カメラマンのリック・ベネットと通訳と私は、無蓋小型トラックの後部座席に乗り込んだ。会ったことのない二人の男が運転していった。後部窓は暗く着色されていて、窓を上げておくように命ぜられた。どこに行くかを見られたくないのは明らかだった。
 わたしたちは3時間、道を、河床を来るまで走った。数マイルごとに、イスラムの服装の人が背後の岩から飛び出し、銃を指さしてトラックを止めるように命じる。運転手は、進路を開けさせるための通過証を忘れていた。チェックポイントごとに、彼らはビン・ラディンの基地に無線で相談していた。

●突然の発砲

 さらに数マイル山を登ると、わたしたちの上から機関銃が発砲された。着色ガラスをとおしてわたしが見ることができたのは、二つの兵器からの銃口のきらめきであった。心はこんな瞬間には駆けめぐる。だれが撃っているのか? なぜ? 弾丸は車に当たるのか?
 金属衝撃音は聞かなかった。ガラスも割れなかった。わたしは窓の線より少し下に下がろうとしたが、わたしたち3人が後部座席に押し込まれており、カバーする余地はなかった。50発を数えただろうか。わたしの心は粉々になった。
 しかし、わたしが見上げたとき、運転手とそのパートナーはまっすぐに座っていて、窓の外を見ていた。彼らは心配していないようだった。わたしは落ち着いて座った――それは単なる威嚇射撃だった――別のチェックポイントへ。彼らは無線を聴いていなかったので、わたしたちに驚いたのだ。それから彼らはわたしたちをおどかした。彼らは窓を通して銃倉を押し、目に閃光を光らせた。別の無線が鳴り、わたしたちは丘の上に行くように言われた。

●ついにビン・ラディンがあらわれる

 わたしたちがついて数分後、ビン・ラディンが到着した。彼の4輪駆動トラックに挨拶するため、真夜中の空に数百の曳光弾を打ち上げた。「彼が着くときには、いつも大騒ぎなんだ」とビン・ラディンの補佐官の一人が言った。
 わたしたちは、インタビューへの条件として、16の質問のリストを提出していた。ビン・ラディンは、その質問すべてに答えると言っていた。最後の数分に、わたしたちは、追加質問はしてはならず、ビン・ラディンは答えを同時に翻訳させないといわれた。わたしたちはニューヨークでそれが翻訳されるのを待たねばならない。ビン・ラディンがアメリカ人を棺桶で故郷に送り返すことを誓っているが、その一方でわたしたちは彼の誠実さを見ている。わたしたちは彼が言っていることはわからなかったし、翻訳者がインタビュー後に翻訳をくれるまでわからなかった。
 山を下りて戻ったときには夜明けだった。わたしたちは数時間、国境まで運転していった。わたしたちは乾いた不毛地帯を歩いて超えた。パキスタンに戻り、わたしたちは老人の家に戻った。彼はバンを手配して「世界で最も危険な男」のテープと一緒に、わたしたちをイスラマバードまで送ってくれたのだった。

 

 
このシリーズ
ビン・ラディンの巣窟への旅
オサマ・ビン・ラディン訪問
インタビューの起こし
ビン・ラディン――テロ銀行家、民族のヒーロー、追放者
攻撃に備える

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